バレンタインデーの歴史③ 日本式バレンタインデー発展編

Ellen Hattie Clapsaddle「(バレンタインカード)」1913 の画像。
Ellen Hattie Clapsaddle「(バレンタインカード)」1913メトロポリタン美術館

さらに80年代前半になると女性の社会進出を背景に、職場を中心に日頃仕事でお世話になっている男性に贈る「義理チョコ」の習慣が登場し急速に広がります。

「義理チョコ」の登場によって意中の男性に送る「本命チョコ」が登場したり、本命にはチョコレート以外のもの、例えば手編みのマフラーやセーターを送ったりするといった新たな習慣も生まれました。

こうして80年代半ばには主婦層にまで広がりを見せて、日本的なバレンタインデーが定着していきます。

このようにバレンタインデーが定着した結果、80年代前半に3月14日ホワイトデーとし、バレンタインデーの返礼を行う習慣が登場し、急速に広がっていきます。

じつは、このホワイトデー誕生についてもいくつかの説があります。

その主なものは、福岡市の菓子屋「石村萬盛堂」の発案とするものと、全国飴菓子工業協同組合が企画した、というものです。

きっかけはともかく、現在のホワイトデーにはチョコレートをもらった相手女性に洋菓子を中心とした返礼を行うのが一般的となっています。

このように、広く定着したバレンタインの習慣ですが、現在も変化を続けています。

1990年代後半以降、非正規雇用者の増加など職場環境や労働意識の変化によって義理チョコは大きく衰退しました。

また2000年代に入ると、女性が女性に贈る「友チョコ」が登場し広まって行きます。

さらには男性が女性に贈る「逆チョコ」や、女性が夫や父息子など大切な家族に送る「ファミチョコ」、自分への「ご褒美チョコ」など、次々と新たしいスタイルの贈答が登場しています。

これらはいずれもチョコレートメーカーによる販路拡大のキャンペーンによるもので、バレンタインの意味合いは変化し続けています。

そしてチョコレートメイカーの狙い通りに、バレンタインデーのチョコレート販売量が、今日では年間チョコレートの出荷量の30%近くになるまでに成長しています。

一見するとチョコレートメイカーの思惑に翻弄されているように見えるバレンタインデーですが、違った見方をすることもできます。

日本には江戸時代頃から盛んになった独自の贈答文化が見られます。

しかしこれは、男性中心の社会の中で行われてきたものでした。

これに対してバレンタインデーは、女性が送る相手と贈り物を自らの意思で選択するというこれまでなかった形の新たな贈答文化です。

その背景には戦後日本の女性の地位向上と自立があることは見逃せない事実です。

また、「ファミチョコ」や「友チョコ」は、バレンタインデーの源流となったヨーロッパの習慣に近く、いわば先祖帰りしたものということもできます。

これまで見てきたように、比較的新しい日本のバレンタインデーの歴史の中にも、様々な社会の変化が見て取れるのです。

この文章をまとめるにあたって、以下の文献を参考にしました。(順不同敬称略)

石川弘義・有末賢ほか編『大衆文化事典』1991弘文堂、川添登・一番ケ瀬康子監修・日本生活学会編『生活学事典』1999TBSブリタニカ、金子幸子・黒田弘子ほか編『日本女性史大辞典』2007吉川弘文館、加藤友康・高埜利彦ほか編『年中行事大辞典』2009吉川弘文館、神崎宣武・白幡洋三郎・井上章一編『日本文化事典』2015丸善出版、木村茂光・安田常雄ほか編『日本生活史辞典』2016吉川弘文館

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