蒙古襲来、迎え撃つ鎌倉武士の甲冑 緋縅大鎧

お気に入りの甲冑を飾って邪気を払う

甲冑は武士の体を護る大切なものです。

ですので、甲冑を飾ると邪気を払うことができると伝えられてきました。

そこで地域の隠れた魅力を発掘してきた鳥蔵柳浅が、今回は蒙古軍を撃退した鎌倉武士の用いた緋縅大鎧と、創業51周年を迎えられた「人形の昇玉」の鎧飾り「緋縅大鎧(ひおどし おおよろい)5号」をご紹介します。

緋縅大鎧5号の画像。
【緋縅大鎧は抑えた縅の淡い色彩に気品を感じます。】

緋縅大鎧の活躍した時代は?

緋縅大鎧は源平の合戦から鎌倉時代の終わりごろまで活躍した甲冑です。

なかでも、一番の見どころである元寇についてみていきましょう。

元寇ってなに?

文永11年(1274)10月20日、突如として博多(福岡県福岡市)に3万人を超える軍勢が出現しました。

この時警戒に当たっていた九州の武士たちは、数えきれないほどの人数、見たこともない旗、鎧、盾、軍勢に相対することになります。

雨のように降り注ぐ矢にも臆することなく、武士たちは突撃を開始しました。

元軍は聞いたこともない言葉で鬨の声を上げて銅鑼を打ち鳴らしつつ、津波のように大挙して押し寄せてきます。

武士たちは元軍の炸裂弾「てつはう」や毒矢の攻撃を受けながらも引き下がることはありません。

敵の進撃を食い止めるべく、武士の誇りを胸に強大な敵に挑んでいくのでした。

蒙古軍からの攻撃を受け、奮戦する竹崎季長の画像
【奮闘する竹崎季長。蒙古軍から矢の雨と「てつはう」の激しい攻撃を受けています。(「蒙古襲来絵巻」(「蒙古襲来絵詞 」写本)国立国会図書館デジタルコレクション 以下すべて同じ)】

そして「神風」の助けもあって、ついに武士たちは元軍を撃退したのです。

筥崎宮前を行く豊後守護大友頼泰の手勢の画像
【筥崎宮前を行く豊後守護大友頼泰の手勢。
緋縅大鎧を着用した騎馬武者が描かれています。】

これが世にいう「蒙古襲来」の前段、文禄の役です。

さらに、二度目の元軍15万人による襲来(弘安の役)も撃退した鎌倉武士は、当時世界最強を誇った蒙古軍を、二度にわたって壊滅的損害を与えて撃退したのでした。

弘安の役で鷹島へ掃討戦に向かう軍勢の画像
【弘安の役で鷹島へ掃討戦に向かう軍勢。思い思いの大鎧を着用しています。】

このように、不屈の闘志を持つ武士たちが着用したのが、今回ご紹介する「緋縅大鎧」なのです。

緋縅大鎧ってどんな甲冑?

かつて武士たちは初陣の時には、血の跡が目立たないようにするため赤絲縅大鎧を着用する習わしでした。

この赤絲が年月を経て、色褪せて淡い薄茶褐色になったものが緋縅なのです。

つまり緋縅は経験を積んだ証、手練れの証明でもありました。

そして鎌倉時代の終わりには、歴戦の武士であることを示すため、あえてはじめから緋縅で大鎧を作る者が現れます。

また、少しでも目立つように胴や絵韋の布を自分好みのものに変えるなどの工夫を凝らすものも出てきました。

緋縅大鎧 右前から見た画像。

今回ご紹介する「緋縅大鎧」も、この時代の鎌倉武士にならって胴の布を印伝模様に変更するなど、特別仕様にしております。

【赤絲縅(あかいとおどし)や青絲縅(あおいとおどし)など、使用している絲(糸)の色彩と縅を合わせて名称にするのが鎧名称の通例です。しかし、緋縅の場合は「絲」字を省略して呼称するのが歴史的に慣例となっています。】

緋縅大鎧 左前から見た画像

大鎧とはどんな甲冑?

大鎧とは平安時代末から鎌倉時代の終わりころまで盛んに使われた鎧です。

平安時代末期・源平合戦の頃、合戦は人馬一体となっての騎馬戦が中心でした。

そのため、大鎧は馬上の武者のほぼ全身を防護するものとなったので、騎馬戦に最も適した形へと進化したのです。

これに対して、徒歩用の動きやすい腹巻・胴丸という体幹のみを防御するものを小鎧と呼んで区別していました。

というのも、名のある武将が大鎧をつけて馬に乗り、これに小鎧の従者が付き従うのが一般的なスタイルだったのです。

その後、南北朝時代からは甲冑が徒歩での使用しやすい形へと変化したので、時代に合わなくなった騎馬戦用の大鎧は、装飾的・象徴的なものとして残ることとなりました。

緋縅大鎧上半身の画像

大鎧ってどんなパーツがあるの?

改めて大鎧の基本的な構造を見てみましょう。

胴体を護るための胴(どう)をはじめとして、胴で護り切れない部分をカバーするために、脇盾(わきたて)、草摺(くさずり)、弦走(つるばしり)、立挙(たてあげ)、逆板(さかいた)、肩上(かたがみ)、障子の板(しょうじのいた)、両肩は袖(そで)など、およそ10のパーツで補強しているのです。

各パーツの役割や装着方法は、「源義経大鎧」の記事に記しましたので、ぜひこちらもご覧ください。

これに兜をかぶって頭部を護り、手甲や脛当を装着、さらに毛沓を履いて、必要ならば面頬をつければ鎧武者の出来上がりです。

緋縅大鎧 右から見た画像

大鎧、美しさの秘密

大鎧って独特の美しさがありますよね!

それは、大鎧が戦場で誰よりも目立つように、また見栄えがするように、当時の最先端の技術を結集して作られていたからなのです。

つまり大鎧は美しさと実用性を追求した結果、漆芸・金工・染織などの工芸技術の粋が尽くされることとなったのです。

例えば、お寺の装飾に使う華鬘を作る革の加工や染織技術は、小札や絵韋の装飾に転用されています。

同様に、仏像を作る漆芸技術は小札の加工に活かされますし、天辺の座などの金具類とその装飾は仏具を作るための金工技術が応用されたのでした。

緋縅大鎧 右から上半身を見た画像

そして何より印象的なのが縅の糸!

これは小札を絲や細い韋紐で結びつけた結果生み出されたものです。

この日本独特の縅の手法が、色彩的・構成的に華麗な美しさを生み出しているのでした。

あなたも緋縅大鎧を飾って邪悪なものに打ち勝つとともに、鎌倉武士の不屈の闘志に思いをはせてみませんか?

緋縅大鎧 正面画像

緋縅大鎧甲冑飾りについての詳しい情報は、こちらをご覧ください。

人形の昇玉店舗画像
人形の昇玉 店内画像
人形の昇玉 店内画像

また、「緋縅大鎧」をはじめ、様々な鎧飾りを人形の昇玉 〔東京都台東区柳橋1-24-5〕で実際に見ることができます。

人形の昇玉

営業時間: 9-17時 (土日祝日は休み)

JR浅草橋駅東口から北東方向に徒歩5分、東京メトロ浅草線浅草橋駅A5出口から東に徒歩2分。東京三菱UFJ銀行浅草橋支店 裏。

また、今回ご紹介した緋縅大鎧のほかにも、伊達政宗所用鎧具足飾り源義経大鎧をご紹介していますので、ぜひこちらをご覧ください。

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