修学旅行の歴史 世界に類を見ない学校行事

修学旅行とは何ですか?

小学校・中学校・高校と、多くの学校で学年単位での宿泊を伴う集団旅行を行います。

これを修学旅行とよんでいますが、これは世界に類を見ない日本独自の学校行事です。

ここで修学旅行の歴史を見てみましょう。

修学旅行の集合写真(1980年ごろ、伊勢志摩)の画像。
【修学旅行の集合写真(1980年ごろ、伊勢志摩)】

修学旅行の誕生

修学旅行のはじまりは、明治19年(1886)2月に東京高等師範学校が行った房州(千葉県南部)方面への長途遠足とされています。

銃と背嚢を持って行軍しながら、目的地で動植物の観察や採取を行うという内容で、現代の修学旅行とはかなり違ったものでした。

面白いのは、その二か月後には野州(栃木県)方面に向けて同様の長途遠足が行われているのです。

続けて二回行われていることからも、軍事教練的な意味合いが強いとみてよいでしょう。

また、当時は宿泊を伴う遠足は行軍と呼ばれて推奨されていました。

河原橘弥「学校兵式教練」六盟館大正3年(1915)表紙の画像。
【河原橘弥「学校兵式教練」六盟館大正3年(1915)
教練本で公開されている数少ないもの。国立国会図書館デジタルコレクション。挿絵の銃を構える子供たちが野外での行軍の様子を伝えています。】
河原橘弥『学校兵式教練』 目次の画像。
【河原橘弥『学校兵式教練』 目次 修学旅行の位置づけがよく分かります。】

修学旅行の名がはじめて登場するのは、明治20年(1887)4月の『大日本教育会雑誌』54号においてです。

しかし、その内容は博物標品、採集、歴史地理の探究を含む長途行軍とされていて、明治政府が推し進めた富国強兵政策の一環であることが分かります。

山田愷『小学校用修学旅行遠足之友』明治33年(1900)の表紙の画像。
【山田愷『小学校用修学旅行遠足之友』明治33年(1900)国立国会図書館デジタルコレクションの表紙。今回、修学旅行のガイドブックとして探しえた最古のものです。】

修学旅行と観光

しかし、修学旅行という学校行事が広まって行くにつけて観光旅行的な傾向が現れてきます。

早くも明治30年代には修学旅行用のガイドブックが刊行されるようになっていたのです。

その中には全国各地の観光名所が掲載されていて、すでに修学旅行が観光旅行中心になっていることが見て取れます。

地理歴史研究会編「日本全国巡遊学生遠足 修学旅行案内』田中宋栄堂明治35年(1902)の表紙の画像。
【地理歴史研究会編「日本全国巡遊学生遠足 修学旅行案内』田中宋栄堂明治35年(1902)国立国会図書館デジタルコレクションの表紙。富士山が描かれています。】

このような流れを受けて、積極的に修学旅行を誘致する地域が現れました。

神話の舞台を見学するプランの伊勢志摩地方、日本国家誕生の地を巡るプランの奈良、日本の歴史と伝統を学ぶプランの京都、世界的にも貴重な建物群と自然を見学するプランの日光など、現代に通じる観光地が多くなっていきます。

中でも、伊勢志摩(三重県)と奈良県はキャンペーンを強く推進していますが、これは「観光立県」とでもいうべき政策の一環でした。

強歩大会の登場

一方で、大正末から昭和初期に、学生の精神と肉体を鍛錬するためとして極めて長い距離を歩き通すという強歩大会(あるいは強行遠足)という行事が日本各地で導入され、現在も一部の学校では大切に守られています。

この行事が、軍部などが推奨する「行軍」そのものであったことから、修学旅行から行軍の要素が薄められる重要な一因になったのではないかと私は考えるのです。

修学旅行列車内での食事風景(1980年代)の画像。
【修学旅行列車内での食事風景(1980年代)。おそろいのお弁当を食べています。】

このように、修学旅行は小・中学校などで、学年全員で宿泊旅行する行事として完全に定着していきます。

修学旅行での夕食風景(1980年代)の画像。
【修学旅行での夕食風景(1980年代)。みんなで食べる夕食は、修学旅行の思い出に残る場面です。】

戦後の修学旅行復活

戦時中は交通事情の悪化や空襲、集団疎開などの影響で中止された修学旅行も、はやくも戦後の混乱がいくらか収まった昭和25年(1950)頃から次第に復活していきました。

昭和30年代には全国各地で再び行われるようになり、生徒や生徒保護者、教師からも強い支持を得て現代に至っています。

修学旅行風景(2010年代、日光)の画像。
【修学旅行風景(2010年代、日光)。首都圏の公立小学校では、修学旅行で日光に行く学校が大半です。】
修学旅行でハイキングする子供たち(1980年代、長野)の画像
【修学旅行でハイキングする子供たち(1980年代、長野)】

現代の修学旅行

現代では、修学旅行の内容も多様化しています。

従来からの都見物型や史跡観光名所めぐり型のほかに、農山村での体験実習型、被爆地などをめぐる歴史学習型、少人数グループによる自主見学型、スキー修学旅行、海外修学旅行など、地域や学校ごとに多種多様な修学旅行が行われてるようになりました。

実は、このことは一般的な観光旅行とほぼ同傾向にあることが研究成果から分かっています。

次に修学旅行を違った側面から見てみましょう。

修学旅行列車を待つ子供たち(1980年代、神戸)の画像。
【修学旅行列車を待つ子供たち(1980年代、神戸)】

修学旅行のもう一つの意義

修学旅行は学校教育の一環として行われ、ほぼすべての生徒が参加する重要かつ思い出に残る学校行事となっています。

修学旅行には旅行体験的な意味合いが生まれ、このことが結果として旅行予備軍養成に大きな役割を果たすことになりました。

昨今の旅行ブームの基となる種まきともいえるものになっているのです。

生涯学習の時代ともいわれる現代において、旅行という学習スタイルをほぼすべての国民が修学旅行を通して体験しているという事実は極めて重要な意味を持っています。

修学旅行風景(2010年代、日光)の画像。
【 修学旅行風景(2010年代、日光)。 】

単に旅行業界が繁栄する素地になるというだけでなく、異文化交流や世代間交流、地域間交流などの共生型社会実現に向けての素地や、異業種体験や異文化体験などの学習機会という意味で、きわめて大きな可能性をはらむ行事として修学旅行の重要性が改めて注目されています。

この文章をまとめるにあたって、以下の文献を参考にしました。特に記して謝辞に代えたいと思います。

また文中では敬称を略させていただきました。

参考文献:石川弘義・津金澤聰廣ほか編『大衆文化事典』1991弘文堂、

中塚明『古都論:日本史上の奈良』1994柏書房、

神崎宣武・白幡洋三郎・井上章一編『日本文化事典』2015丸善出版、

高木博志「修学旅行と奈良・京都・伊勢-1910年代の奈良女子高等師範学校を中心に-」『近代日本の歴史都市 古都と城下町』2017思文閣出版

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