整骨って なに? 柳橋通り整骨院 その2

整骨って何?

整骨と柔道整復ってどこが違うの?

なんて疑問に思ったことはありませんか?

そこで今回は知っているようで案外知らない整骨の歴史をひも解いてみましょう。

【柳橋通り整骨院 目次】その1:頼りになる整復師その2:整骨ってなに?

整骨とは?

整骨は、戦国時代に戦や武芸の鍛錬で怪我が絶えない侍が、武術を応用して打ち身や打撲、骨折などを治す技術が発達させたことに起源をもっています。

これが江戸時代になると、庶民にも普及して「骨接ぎ」と呼ばれるようになり、生活に欠かせない大切な医療となりました。

この「骨接ぎ」に、蘭学(西洋医学)からの医療知識や治療法を導入して幕末頃に大いに発展して誕生したのが整骨(接骨、正骨、骨継)なのです。

関節治療状況(『竹岡式接骨術』竹岡宇三郎述(前田勘太夫、大正10年)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【関節治療状況(『竹岡式接骨術』竹岡宇三郎述(前田勘太夫、大正10年)国立国会図書館デジタルコレクション)】

なぜ柔道整復師という資格名なの?

明治時代に入ると、西洋医学重視の政策から「骨接ぎ」が軽視されるようになっていきます。

その結果、整骨は法令で制限を受けて(入歯・歯抜口中療治接骨営業者取締方による標榜禁止(明治16年))施術を受ける人は激減し、整骨師も少なくなって消滅の危機を迎えてしまいます。

この危機的状況の中で、伝統の医術を守り伝えたのは柔道家の方々でした。

当時禁止されていた「骨接ぎ」の名を避けて柔道家が行う身体整復ということで「柔道整復」と名を変えて技術を守り伝えたのです。

大串仁十「天神鉄真流柔術型極意秘伝図解:報告館鉄伸流」大正15年 国立国会図書館 の一部の画像
【大串仁十「天神鉄真流柔術型極意秘伝図解:報告館鉄伸流」(大正15年 国立国会図書館) の一部】

大正時代に入ると 関係者の努力もあって、ようやく日本の伝統医療が見直され、柔道整復師という国家資格が設けられます。

昭和21年(1946)には柔道整復術取締規則で医療類似行為として公許され、再び人々が安心して施術を受けることができるようになりました。

今日でも整骨(接骨と同じ意味です)は柔道整復術として国民医療保険が適用される日本国公認の医療です。

現在では副作用がほとんどなく、長い実績がある医療として世界から注目されているのす。

この整骨のマスターが東京都台東区柳橋に医院を構えています!

みなさんも凄腕整骨師の田川院長に相談して、日本の伝統医療のすばらしさを体験してみませんか?

この文章を作成するのに以下の文献を参考にしました。:国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』1979~97吉川弘文館、渡辺信一郎『江戸の生業事典』1997東京堂出版

【柳橋通り整骨院 目次】その1:頼りになる整復師 その2:整骨ってなに?

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