近代の相撲 相撲の歴史⑤

大相撲 目次大相撲とは?[相撲の歴史]①相撲誕生と相撲節成立 ②鎌倉・室町・戦国時代の相撲③織田信長と相撲④大相撲の成立⑤近代の大相撲⑥現在の大相撲

「改正相撲高砂稽古場之図」(蜂須賀国明(松木平吉、明治9年)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【「改正相撲高砂稽古場之図」蜂須賀国明(松木平吉、明治9年)国立国会図書館デジタルコレクション】

明治に入ると、大名に抱えられていた職業力士は禄を失い、相撲は大きな危機を迎えます。

文明開花の雰囲気の中で相撲「裸踊り」として野蛮視する風潮が広がったのです。

明治5年(1872)には はじめて女性の相撲見物を二日目以降にも認め、明治11年(1878)には警視庁から「角觝取締規則」が発布されて年寄らに営業観察が公布されるなど、近代化が模索されます。

芝離宮天覧相撲の様子の画像。
【芝離宮での天覧相撲会場。岡敬孝編『古今相撲大要』(明治18年、 攻玉社  国会図書館デジタルコレクション)】

ようやく相撲が人気を回復させたのは明治17年(1884)、芝離宮・延遼館での天覧相撲がきっかけとなり相撲人気が高まります。

日清日露の両戦争での勝利が日本にナショナリズムの高まりをもたらしたことが、結果的に日本の伝統文化と相撲を見直させた言い換えてもよいかもしれません。

更なる近代化を進める大相撲は、江戸時代以来の相撲開所を東京大角力協会に改組します。

そしてついに、明治42年(1909)には初めて相撲常設館がゆかりの地・両国に建設され「国技館」と命名されたのです。

この頃、常陸山・梅ヶ谷の名横綱が出て第二次黄金時代とよばれる盛況を見せて、「国技館」の名が定着するとともに大相撲が大いに人気を集めました。

横綱梅ケ谷の画像。
【横綱 梅ヶ谷】

大正時代には、突き押し相撲で43連勝をマークした太刀山や、相撲の型を完成させた栃木山などの名横綱が現れて相撲人気を不動のものとします。

大正14年(1925)には東京大角力協会が大日本相撲協会と改称して財団法人となったのを機に、昭和2年(1927)大阪の角力協会を合わせて相撲界が一本化されました。

横綱太刀山の画像。
【横綱太刀山】

さらに大相撲の人気を全国的に広がる後押しをしたのは昭和3年(1928)に始まるラジオ中継放送です。

ラジオ放送に合わせて、それまで制限のなかった仕切り制限時間制が導入され、土俵に仕切り線を設けるなどラジオ放送に合わせて相撲がよりスピーディーになるよう改善したのです。

その後も昭和直径13尺から15尺に土俵を一回り大きくするなどの改善に努めたところ、昭和10年代には不世出の大横綱・双葉山が出て破竹の69連勝をマークして、相撲人気は空前絶後の頂点に達し、第三次黄金時代を迎えました。

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