もう一つのひな祭りの源流、ひひな遊びとは?  ひな祭りの話③

【ひな祭りの話】①ひな祭りとは?②ひな祭り源流、上巳の節供とは?③もう一つのひな祭りの源流、ひひな遊びとは?④ひな祭りの誕生 ⑤現代のひな祭り⑥雛流しと流しびな⑦雛市と江戸のひな人形とは?

「東風俗五節句合 三月」(栄松斎長喜 大英博物館)の画像。
【「東風俗五節句合 三月」栄松斎長喜 大英博物館】

現在のひな祭りは3月3日にひな人形を飾って祭り遊ぶ風習ですが、元は「ひひな遊び」といって、平安時代には女の子がかわいらしい紙でできた人形で遊ぶことを言いました。

この「ひひな遊び」が現在のひな祭りの誕生に大きな影響を与えているのです。

では、「ひひな遊び」についてみてみましょう。

「ひひな遊び」とは、貴族の少年少女をモデルにした「ひひな」と呼ぶ人形を中心に、その屋敷や乗物・食器なども使って遊ぶ、現在でいうままごと遊びのことです。

「雛祭り」(『童話新集 第14編』中村書店、大正11年 国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【「雛祭り」(『童話新集 第14編』中村書店、大正11年 国立国会図書館デジタルコレクション)】

例えば、『紫式部日記』には皇子誕生の五十日祝(いかのいわい)に使った小さな道具を「小さき御台、御皿とも御箸の台、洲浜などもひひな遊びの具と見ゆ」と書き記していますし、『源氏物語』若葉にも「ひひな遊びにも絵かい給ふにも、源氏の君とつくりいでて」とほほえましい情景が描かれています。

また、『枕草子』にある「過ぎにしかたに恋しきもの(中略)ひひな遊びの調度」はまさにノスタルジー、現代にも通じる感覚ではないでしょうか。

この『枕草子』の記事からは、「ひひな遊び」が本来のままごと遊びという意味に加えて、幼少時の女性を象徴する存在になっている状況がうかがえます。

「十二月ノ内 弥生雛祭」(歌川豊国(蔦屋吉蔵、嘉永7年)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【「十二月ノ内 弥生雛祭」(歌川豊国(蔦屋吉蔵、嘉永7年)国立国会図書館デジタルコレクション)】

また、『台所記』久安6年(1150)正月23日条に「比々奈遊事有り」と記されているように、「ひひな」は本来、上巳の祓や3月3日とは関係が無いもので、常に女の子の遊びのおもちゃとして宮中を中心に用いられていました。

この「ひひな遊び」の様子は、『栄花物語』『狭衣物語』などにも多く描かれており、中世まで変わっていません。

その後、『お湯殿の上日記』文明11年(1479)閏9月9日条、『言継卿記』弘治2年(1556)10月13日条などに「ひひな」を贈ったことが記されています。

こうして「ひひな」は単なるおもちゃにとどまらず、ついには贈答品になったのでした。

次章では、この「ひひな」と「ひひな遊び」に、先に見た「上巳の節供」が融合していく様を見ていきたいと思います。

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