前回、実物を見せてもらって研師の仕事を理解しました、そこで今回は日本刀の持つ魅力を違った角度から見てみることにしました。
先ほど刀の仕組みについて脇差を分解して教えてもらった時に 二人が鍔や装具に興味を示したので、ここからは金具類をじっくり見ることにします。
まずは鍔や目貫を実際に手に取って、デザインを観察するところからはじめました。
鍔の機能は相手の刀から手を護り、自分の手が滑って怪我するのを防ぐと教えられた二人は、「それだったらここまで形に凝ることないよね」「どうしていろんなデザインがあるの?」と不思議に思っています。
長岡さんから、日本刀を持つだけで使わなくなった江戸時代には、鍔や刀装が それを持つ人の地位や趣味、教養からファッションセンスまで表すようになったと聞いて、「だから工夫するんだね」「オシャレなんだね」と二人は大いに納得です。
目貫に至ってはほとんど見えないように思うのだけど、「見る人が見ればわかるというのは今のおしゃれと同じだね」と うなずき合うのでした。
デザインからさらに深く観察して、作った技を見ていきました。
叩き出して成形した目貫、金で象嵌(ぞうがん)した鍔など、鏨(のみ)や鎚(つち)の跡を一つ一つ見つけながら考えを巡らせます。
「ここまで凝っても見えないよ」「手に取って見ないと分かんない」やっぱりオシャレなんだねー、と納得です。二人が特に興味を持ったのが「魚々子(ななこ)」、細かで均質な模様に気付き、これが一つ一つ鏨で彫ったと聞いて驚愕します。魚々子専門の職人がいたと聞いて、気が遠くなったようでした。
それから美しい魚々子が際立つ小束を観賞します。
その隣にある小束は、表面は竹の意匠で精巧な細工、裏には和歌が彫られているのを見て、あまりの凝りようにしばらく見とれていました。
講義のまとめとして、長岡さんから日本刀とは何かを改めて話してもらいます。
「武器として誕生した日本刀ですが、平和な時代になってからは使われることもなくなり、鍔や目貫でみたように、手間暇かけた威信材やおしゃれアイテムへ、さらには美術品へと変わっていきました。
例えばこの江戸時代の初めに作られた刀も、現在まで約400年間いろいろな人が大切に守ってきたからこそ、今ここにあるのです。
私は日本刀には眺めたり手入れしたりする時に、刀や刀の持つ歴史と向き合うことで自分の心を落ち着かせる役割もあるといえるでしょう。
ですから、日本刀を持つということは物を大切に受け継いで次に伝えるという心や、刀の持つ歴史を受け継いで尊重する精神を学ぶことができるのです。
これを機会に あなた方も日本刀が好きになってくれると嬉しいです。」
「そうか、日本刀にはそれぞれの<物語>があるんだね」「歴史そのものって感じだね」とつぶやく二人には、どうやら日本刀の魅力が伝わったようです。
最後に質問を聞いてみると、「実際に使った刀はどうなるのですか?」という質問がありました。
「鬼滅の刃」では、日本刀で打ち合うシーンが数多く描かれるところ。
確かに実際の例として、新選組隊士が尊王攘夷の志士たちを襲撃して激しい白兵戦が行われた池田屋事件(元治元年(1864))では、沖田総司の加州清光がボロボロになって修理に出されたり、永倉新八の播州手柄山氏繁が折れたりと使用された刀にも甚大なダメージがあったことが知られています。
これは良い質問ですね、と前置きして長岡さんが答えます。
「実戦で使用した刀は使用不能なまでに傷むことが多く、修理しても刀の寿命が短くなってしまうようで、現存する例が少ないのが実情です。」
長岡さんが特別に一振りの刀を見せてくださいました。この刀は刃の根元と棟(峰)に刀を受けた傷があります。この刀の持ち主は刀を持った者に襲撃されたものの、この刀で攻撃を受けて無事に切り抜けることができたようです。
この刀の傷ですが、特に棟の部分にある傷を「誉疵(ほまれきず)」とよび、この刀が持ち主を護った証として大切にされているのだそうです。
「まさに刀には<物語>があるんだね!」と二人が感心することしきりでした。
こうして約二時間にわたった長岡さんによる日本刀入門講座ですが、参加した二人には「とっても面白かった。実際の刀に感動しました!」「日本刀はめちゃくちゃかっこよかったです。すっかり好きになってしまいました。」と大好評!
元気にお礼を言って講座を修了しました。
鳥蔵柳浅では、地域の素晴らしい技を持つ職人さんを訪問してその技を見学・体験する催しを開催しています。過去には、地域に住む外国人の方々と金井畳店など地域の工房を訪問したり、小学生の畳製作体験会(金井畳店)や団扇製作体験(松根屋)を実施しました。
これからもご要望があれば順次開催して地域の新しい魅力を知っていただきたいと思っております。
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