前回見たように、大正時代になると現在の学芸会と音楽会に近いものが全国で盛んに行われるようになったものの、その内容は忠君愛国的・国家主義的なものに偏る今とはかなり異なるものでした。
そこで今回は、現在みられる形の学芸会と音楽会がどのように成立したのかを見ていきたいと思います。
【学芸会と音楽会の歴史 目次】文化祭と学芸会・音楽会は同じもの? ・ 主役は私!・学芸会と音楽会の歴史 ・ 台東育英小学校の学芸会:学芸会その3
学芸会や音楽会、文化祭の変革
壺井栄『二十四の瞳』にも描かれているように、日中戦争から太平洋戦争中まで、愛国精神や国家主義・軍国主義の色彩の濃い内容ではあるものの、学芸会と音楽会は続けられていきました。
そのことから、児童や学生のみならず、教員から保護者に至るまで幅広く支持されていたことが見て取れるのです。
そして第二次世界大戦の敗戦後は、アメリカによる教育の民主化が行われ、教育内容は根本的に見直されることとなります。
その中では、戦前の自由教育運動が再評価されて、児童教育の中心として位置付けられることになりました。
これを受けて 、先に述べたように演劇や合唱合奏が自由教育運動で重視されていたこともあって、学芸会と音楽会はふたたび盛んになったのです。
もちろんそこで行われる内容は、戦前の愛国的・国家主義的な色合いは消えて、教育を重視するものとなったのは言うまでもありません。
演劇と学芸会の深いつながり
戦後の学芸会は、日本における演劇の発展から大きな影響受けていきます。
児童演劇用の定番演目(「田舎(いなか)のねずみと東京のねずみ」、「桃太郎」、「ないた赤鬼」、「機関車ヤエ衛門」など)、定番の演目を子供用にしたもの(「白雪姫」、「青い鳥」、「ピーターパン」、「オズの魔法使い」など)や、その時代に成功した演劇の演目(「夕鶴」、「夢から覚めた夢」、「二人のロッテ」など)です。劇団四季の成功の影響を受けて、その演目を行うことも多くなっています(「ライオンキング」、「白鳥の王子」、「魔法をやめたマジョリン」など)。
また、児童演劇用の優れた作品も多く誕生しました(「ユタと不思議な仲間たち」など)。
学芸会の思い出はなんですか?
学芸会での思い出の代表格といえば、何といっても主役の争奪戦でしょう。
私には縁がありませんでしたが、このテーマは学芸会の隆盛と共に語られ続けてきたもので、『うる星やつら』や『おジャ魔女どれみ』など、学校生活が舞台のマンガやアニメでも多く取り上げられてきました。
どうした訳か、その演目は「ロミオとジュリエット」が多い印象ですが、これはどうしてなのでしょうか?
こうした主役争奪戦は現代でも続く、いわば風物詩でもありますが、その一方で違った流れも見られます。
「ゆとり教育」が導入された1990年代頃から、全員参加・全員主役という演目が見られるようになりました。
友情や人間愛などの普遍的なテーマを扱っていますが、それよりも参加児童が平等に出演機会を得ることが重視される演目が増えているのです。
この傾向は保育園・幼稚園で特に顕著ですが、小学校でも広く浸透しているようです。
また、違う流れも広がっているのも見逃せません。
中・高校の学芸会は、演劇コンクールや合唱コンクールのように、種目を限定して種目ごとに分けて行う学校が増える傾向にあるのです。
その一方で、文化祭や学園祭のような学校全体で取り組む包括的な学校行事として重視する学校も出てきているのは興味を引くところ。
ですので、全体的な傾向としては、種目別と包括的の二極に分化していくように見えるのですが、中には両方実施するというイベント重視の学校も存在するのには驚きを隠せません。
イベント一杯といえば、『うる星やつら』や『魔入りました!入間くん』といった学園ものコメディまんがを思い出して、私はうらやましくも思うのです。
いずれにせよ、学芸会と音楽会は、日本の教育に欠かせないものとしてすっかり定着しています。
つまり、学芸会と音楽会は、親子で、あるいは三世代で、それぞれの思い出を分かち合える貴重な行事になっているといってよいでしょう。
この文章を執筆するにあたって次の文献を参考にしました。
また、文中では敬称を略させていただいております。
参考文献
『演劇百科大事典』第1巻 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館編(財団法人逍遥協会、1960)、
『日本国語大辞典 第4巻』 日本大辞典刊行会編(小学館、1973)、
『日本風俗史事典』日本風俗史学会編(弘文堂、1979)、
『平凡社大百科事典 3』下中邦彦編(平凡社、1984)、
『江戸東京学事典』小木新造・陣内秀信ほか編(三省堂、1987)
【学芸会と音楽会の歴史 目次】文化祭と学芸会・音楽会は同じもの? ・ 主役は私!・学芸会と音楽会の歴史 ・ 台東育英小学校の学芸会:学芸会その3
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