前回では、じっくりと高御座を見てきました。
今回は、見てきたことから、私なりに高御座について考えてみたいと思います。
【高御座特別公開 目次】①高御座を見に行きました / ②高御座を見に行ってきました / ③高御座をみて考えました
すこし高御座について考えてみましょう。
これでもかと飾りを付けた高御座、やっぱりこれは建物であって工芸品、しかも最高の技がぎっしり詰まったすごいものです。
全体の印象は、いうなれば巨大なお神輿です。
そう、比叡山の神輿を思い起こさせます。
工芸品みたいな建物といえば、あるいは中尊寺金色堂にも似ているように思います。
弘化3年の「御即位図」にある高御座と比べると確かに形は似ていますが、方形継壇が足されているなど、装飾が大幅に増えて かなりゴージャスになっているのが分かります。
さらに、明治神宮聖徳記念絵画館の「即位礼」の図に描かれていた明治天皇の高御座は、方形のシンプルなものでした。
外国の公使など世界中に見せるので、帝国の威容を示すためにも、これでもかと盛りに盛った感じがして面白いです。
弘化3年の「御即位図」は明治大帝の父、先代の孝明天皇御即位の記録。
孝明天皇は光格天皇の第6子で、光格天皇は尊号事件をはじめ、強烈に朝廷復興を目指した方です。
孝明天皇も、その先代で兄の仁孝天皇も、ともに父君光格天皇の意思を受け継いでおられます。
そして、朝廷復興の一環として中世以来途絶えていた高御座の伝統を復活させたのが弘化3年の孝明天皇即位の礼の高御座です。
明治天皇即位に際しても御座所を改良して高御座を用意したものの、天皇の即位の礼をより権威あるものにするために、日本の権威ある建物や工芸品の類を研究、それらが「登極礼附式」に結実されます。
こうして、「登極礼附式」を形にしたのがこの高御座ではないか、と思いました。
つまり、「天皇陛下の即位をより豪華に演出して立派に見せたい」と考えて、日本中からイメージを集めて弘化の高御座に盛りまくったのが現在の高御座ではないか、ということです。
様々なイメージをかき集めて作ったように思える印象が、逆に面白くてたまりません。
ある意味、近代以降の日本を象徴するように思えてきます。
高御座に関しては膨大な研究がありますが、それを見ていない状態の感想です。
ここまで見たように、高御座は他に類をみない日本の伝統技術の粋を集めたものです。
機会があれば、みなさんもぜひ一度、ご覧になって見てください。
【高御座特別公開 目次】①高御座を見に行きました / ②高御座を見に行ってきました / ③高御座をみて考えました
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