7月21日は、明治41年(1908)に最後の京都所司代・松平定敬が亡くなった日です。
最後の最後まで意地を貫き、明治政府と戦った姿が称賛される定敬ですが、戦後は何を想ったのでしょうか。
定敬の生涯をたどり、彼の心の内を探ってみましょう。
最後の京都所司代・松平定敬が亡くなった日・7月21日
![](https://tokotokotorikura.com/wp-content/uploads/2022/07/箱館戦争中の松平定敬(Wikipediaより20220719ダウンロード)〔部分〕.jpg)
7月21日は、明治41年(1908)に最後の京都所司代・松平定敬が亡くなった日です。
最後の最後まで意地を貫き、明治政府と戦った姿が称賛される定敬ですが、戦後は何を想ったのでしょうか。
定敬の生涯をたどり、彼の心の内を探ってみましょう。
7月18日は、1866年(慶応2年6月7日)に幕府軍艦が大島を砲撃して第二次長州征伐(四境戦争)が開戦した日です。
そこで、日本史のターニングポイントとなったこの戦争と、関係者のその後をみてみましょう。
維新の殿様・新宮水野家編の第25回は、第一次長州征伐から第二次長州征伐前夜までをみてみましょう。
維新の殿様・柳川藩立花家編の第38回は、長州征伐での柳川藩をみてみましょう。
維新の殿様・近江国仁正寺藩市橋家編の第4回は、明治維新における西大路(仁正寺)藩の大活躍する姿を見てみましょう。
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