『坂の上の雲』と『坊ちゃん』の舞台 【維新の殿様 久松松平家・松山藩(愛媛県)編①】

『坂の上の雲』

司馬遼太郎『坂の上の雲』を読んだことはありますか?

「秋山好古中将」(『大演習写真帖』写真通信社(博報堂、明治42年)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【秋山好古中将(『大演習写真帖』写真通信社(博報堂、明治42年)国立国会図書館デジタルコレクション)】

それは松山出身の秋山兄弟と正岡子規の青春群像は心震える物語です。

主人公の秋山兄弟ですが、兄の秋山好古は日露戦争で世界最強と言われたコサック騎兵を撃破した日本騎兵の父といわれる陸軍将校。

「秋山真之将軍」(『秋山真之』秋山真之会編(秋山真之会、1933)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【秋山真之将軍(『秋山真之』秋山真之会編(秋山真之会、1933)国立国会図書館デジタルコレクション)】

弟の真之は日本海海戦で東郷平八郎元帥の指揮の下、当時世界最強といわれたロシア・バルチック艦隊を撃破した海戦で、参謀を務めた海軍将校です。

言わずと知れた、二人は日露戦争で日本を勝利に導いた最大の功労者といってもいいでしょう。

「正岡子規(明治24年)」(『明治大正随筆選集7』(人文社、大正13年)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【正岡子規(明治24年撮影)(『明治大正随筆選集7』(人文社、大正13年)国立国会図書館デジタルコレクション】

また一方、正岡子規は近代俳句の父とも敬称される偉大な俳人です。

そして苦難の末に闘病生活で紡いだ言葉が新しい日本語の源流の一つとなっていることから、近代日本語を作り出した一人といっても過言ではありません。

『坂の上の雲』は、明治維新以来近代化にひた走る近代日本の青年期とこの三人の青春を描く物語です。

さて、物語の前半の舞台は四国・松山。

そこには瀬戸内海独特ののんびりした世界が描かれています。

「夏目漱石」(『漱石全集 第5巻』夏目漱石(漱石全集刊行会、1924)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【夏目漱石(『漱石全集 第5巻』夏目漱石(漱石全集刊行会、1924)国立国会図書館デジタルコレクション)】

それはまさに、夏目漱石が『坊ちゃん』で描いた世界そのもの、どこかのんびりとした情景が広がっていました。

そして『坂の上の雲』では、小説の演出上の理由もあるのでしょうが、物語では幕末に一藩佐幕という時代錯誤で保守的な「殿様」として旧藩主・久松(松平)伯爵家が描かれているのです。

松山の殿様

一方で、旧藩主に対して全く違った見方をする人たちにも出会いました。

松山城(『加藤嘉明公』伊予史談会編(松山市、1930)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【松山のシンボル、松山城 (『加藤嘉明公』伊予史談会編(松山市、1930)国立国会図書館デジタルコレクション)】

実は私の父は愛媛県伊予市出身で、時々「松山の殿様」の話をしてくれました。

父が言うには、「松山の殿様」はミカン王国愛媛を作り上げ、賢い子供には援助を惜しまない人なのだそうです。

この話しは父ひとりが話していたのではなく、父の親戚筋の人たちから何度も聞かされましたので、まったく父の勘違いという訳でもないと思えました。

そして少年期の私は、司馬遼太郎が描く松山藩主の久松(松平)家と、父が語った「松山の殿様」のギャップがあまりに大きくて、驚くとともに困ってしまったのを懐かしく思い出すのです。

久松家の殿様は、暗君?それとも名君?

はたして松山藩主久松(松平)家にとって、幕末・維新、そして近代とはどのようなものだったのでしょうか?

今回はこの疑問の答えを探ってみたいと思います。

それでは、手始めに次回では久松家の歴史からたどってみることにしましょう。

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