東京の下町には、地域にある中小零細企業の応接室代わりになっている喫茶店が数多くありました。
そしてそんな喫茶店は、住民の交流場所として大切にされてきたのです。
そこで今回は、そんな喫茶店の一つ、「コーヒーハウス 久(きゅう)」(東京都台東区柳橋1-19-7)をご紹介します。
JR総武・中央線の高架下にあるお店は、浅草橋駅東口の階段を降りると目の前に赤い屋根が目に飛び込んできます。
高架下特有の高い天井と、時折走る電車の音が響いて店内は優雅な時間が流れていました。
お店にはスポーツ新聞をはじめ新聞各紙、週刊誌とマンガが閲覧でき、時が経つのを忘れたような店内は、まるで昭和そのままの光景です。
テーブル席が15席ほどの店内には、地元サラリーマンの愛煙家を中心に、人が絶えることがありません。
そして、この「コーヒーハウス 久」では香り高くバランスの取れた旨いコーヒーがいただけるのです!
ほかにもドリンクメニューは驚きの充実ぶりです
ところで、お店があるのはかつての浅草茅町、商業の盛んなの町でした。
明治以降は人形店の多かったこの場所はまた、銀行が集まる場所でもあり、その一つに実業貯金銀行がこの場所にあったのです。
この実業貯金銀行は速水御舟の父・蒔田良三郎が立ち上げた銀行。
この蒔田良三郎は、千葉県長生郡生まれ、古着屋の奉公人から日本実業銀行設立まで成し遂げた立志伝中の人物です。
そして、現在コーヒーハウス 久のあるこの場所が、蒔田良三郎の次男である日本画家・速水御舟(1894~1935)の生家にあたっています。
速水御舟(蒔田栄一、大正4年に母の姓速水を継ぐ)は大正・昭和初期に日本画壇をリードした夭折の天才的画家です。
御舟が生まれたころは、表通りは質屋の店、奥が蒔田家の住居となっていたのでした。
コーヒーハウス 久のあった場所は、店と蒔田家の間にあったという蔵の場所と思われます。
御舟の家の裏戸を開けると、松本楓湖が主催する画塾・安雅堂画塾の入り口があって、今村紫紅や小山田青樹など、才能ある若者が通っていました。
明治時代後期のこの界隈には好奇心が止まりませんが、これはまたの機会に。
その後、関東大震災で付近は壊滅的被害を受けて、昭和7年(1932)、関東大震災からの復興事業で万世橋~両国間の鉄道が建設されています。
コーヒーを味わった後 撮影許可をお願いすると、二つ返事で快諾してくれました。
大きな窓からはやわらかな光が差し込んで、穏やかな快適空間を作り出しています。
おししいこーひーをすすりながら、効果を行く電車の音を聞き、道行く人々を眺める、そんなゆったりした時間を楽しめるのがこの喫茶店の魅力。
みなさんも一度、地元の愛する喫茶店に足を運んでみてはいかがでしょうか?
この文章を作成するにあたって次の文献を参照しました(順不同敬称略)。日本美術院百年史編纂室『日本美術院百年史』1989~2005日本美術院、『浅草人物史』1913実業新聞社
コーヒーハウス 久(きゅう) 店舗情報
所在地:東京都台東区柳橋1-19-7
アクセス:JR中央総武線 浅草橋駅東口から東へ・江戸通りを渡ってすぐ(約50m/徒歩1分)
営業時間:月~金8時~20時、土 10時~19時 1~4月の日・祝 11時~18時
定休日:日・祝日(1月~4月は日・祝営業)
【文中ならびに写真のメニューと料金は、2020年1月時点のものです。店舗情報も同時期に店主から教えてもらったものですので、変更されている場合があります。】
昭和50年頃から数年、喫茶「久」でアルバイトをしていました。まだ「久」の店名で続いていたのですね。なつかしさがこみあげてきます。