七五三は幕府の策謀? 七五三の由来と歴史

秋、子供が成長すると「七五三」がやってきて、写真撮影だとか宮参りだとかで手間がかるうえに出費も痛く、「なんで七五三なんてものがあるの?」「そもそも七五三て何?」なんて思った経験はありませんか?

そこで七五三の由来と歴史をひも解いて、その謎を解明していきましょう。

ちなみに私の経験では、いずれ子供が成長して手が離れる頃には、七五三も楽しい家族の記憶として心に刻まれていると思います。

七五三 目次その1:地域の七五三その2:七五三は幕府の策謀?七五三の歴史

七五三詣で(作品名不明、歌川国芳、大英博物館)の画像。
【七五三詣で(作品名不明、歌川国芳、大英博物館)】

七五三ってなに?

七五三は子供たちの成長を親や祖父母でお祝いする行事です。

この日は、大人たちの笑顔が正装した子供たちを囲む特別な時間なのです。

ところで七五三の行事ですが、その由来をご存知でしょうか?

七五三は幕府の手抜き?

じつは、七五三を始めたのは、江戸幕府将軍家です。

この儀式は、古くからある「髪置(かみおき)」と「袴着(はかまぎ)」、「帯解(おびとき)」という三つの儀式をミックスして幕府が作り出したものなのです。

というのも子供の死亡率の高かった近代以前では、時々に子供の成長を祝う儀式が公家を中心に行われてきました。

これは子供たちの無事の成長を祝い感謝するとともに、これからも無事成長することを祈るための儀式だったのです。

そして「髪置」「袴着」「帯解」という儀式は、その目的は似通っているものの、それぞれ実施時期や内容が子供の成長度に合わせて異なっていました。

それでは、この三つの儀式の内容を順にみていくことにしましょう。

髪置は髪型が大人に

「髪置(かみおき)」とは幼児が頭髪を剃ることをやめて伸ばし始める儀式のことで、平安末期にはじまりました。

そうです、「大五郎カット」に代表されるように、時代劇などで時折見かける一部だけ髪を残したヘアスタイルから脱出する行事なのです。

また、時代や地域によっては、髪立、櫛置などと呼ばれることも。

そしてこの行事は、子供が公家で2歳、武家で3歳になった年の11月15日に行うこととされていました。

さらに驚くべきことに、5~6歳になると、髪削(かみそぎ)あるいは深曾木(ふかそぎ)という儀式を改めて行うものとされています。

この儀式は、「髪置」の後に生えた髪をバッサリと切ったり剃ったりするものだとか、ここまでしないと素敵なさらさらストレートへアーにはならないみたいです。

つまり、「髪置」と「髪削」はセットで一つの行事と考えてよいでしょう。

(作品名不明、歌川豊国(初代)1800、大英博物館)の画像。
【作品名不明、歌川豊国(初代)1800、大英博物館】

袴着は服が大人に

つぎなる「袴着(はかまぎ)」は幼児に初めて袴を着せる儀式で、古くは3歳、後には5歳または7歳に行っていました。

この行事は近世以降、陰暦の11月に行うのが通例となりましたが、公家・将軍家では正月吉日に行うように変化しています。

帯解は帯で大人に

「帯解(おびとき)」は子供に初めて帯を用いる祝いの儀式です。

この儀式では、子供を恵方に向かって立たせて、付帯のない着物を着せて帯を結ぶというもの。

室町時代すでに行われて、男子5歳、女子7歳の11月吉日を選んで行っていました。

「浅草金竜山八境」(鳥居清長、1787 メトロポリタン美術館)の画像。
【「浅草金竜山八境」鳥居清長、1787 メトロポリタン美術館】

七五三の誕生

時代が下って江戸時代になると、三つの儀式が時期的にも近いので、これらを合わせて一つにまとめて行うようになります。

こうして七五三が生まれるのですが、始めたのは将軍家とされています。

たしかに、いくら子供の成長が喜ばしいからと言って、3歳から7歳までほぼ毎年大規模なお祝いをするのは煩雑な気がします。

七五三の儀式が確立すると、あまり時を置かずに商家の間に広がっていきました。

そして明治時代に入ると、この七五三という行事が庶民の間にも爆発的に広がっていきます。

これは、「七歳までは神のうち」とする民間の稚児信仰と結びついたのがベースになっているのはもちろんですが、晴れ着や装飾品の商家による営業キャンペーンがきっかけとなって一気に広がった、とする説が有力です。

そして本来稚児信仰の行事の持っていた、氏神に詣でて正式に氏子の一員となり、村の構成員として承認されるという意味合いが、七五三にも受け継がれることになります。

このことが「和」の正装で参詣する習わしとなり、さらに七五三の中に基となった三つの儀礼の要素が入れ込まれて、七五三の行事が形作られたのです。

現代の七五三

一方で、近年ではこうした意識が薄れて、洋装して記念写真を撮影するものと考える方も珍しくなくなりました。

「ドレスを着てスタジオ撮影だけした」などと、よく耳にするところです。

いずれにせよ、七五三が秋の一日を家族で子供の成長を祝う大切な行事であることに変わりはありません。

子供の成長を祝い、健やかな成長を願う心は、いつの時代も変わらない親心だと私は思います。

みなさんもこの機会に、地域の神社を家族で参拝してみてはいかがでしょうか?

鳥蔵柳浅は地域の行事を応援しています。

参考文献:小木新造、陣内秀信ほか編『江戸東京学事典』1987三省堂、『日本史事典 三訂版』2000 旺文社

【七五三 目次】その1:地域の七五三その2:七五三は幕府の策謀?七五三の歴史

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です