どうして七草粥? 七草粥③

前回は七草粥の風習が生まれる所を見てきました。

その起源は、日本古来のものと、中国由来のものがあって、この二つがまじりあって七草粥の風習が生まれたことが分かりました。

では、今日見るように、全国的に広がって定着したこの習慣にはどんな意味が込められているのでしょうか?

今回は、この謎に迫ってみたいと思います。

「(若菜摘)」(窪俊満、メトロポリタン美術館)の画像。
【「(若菜摘)」窪俊満、メトロポリタン美術館】

七草粥 目次①七草粥作ってみました②七草粥ってなに?③どうして七草粥? 

「七草叩」(『季節の理科・少国民のために』鎌田京助・野村正(神田書房、昭和19年)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【「七草叩」『季節の理科・少国民のために』鎌田京助・野村正(神田書房、昭和19年)国立国会図書館デジタルコレクション】

ところで、七草の内容は地域によって違うのをご存知でしょうか?

極端な例だと、近年まで雪深い地域では七草がそろえられないため、なんでも七種類あればよいとする地域もありました。

また、一部では七草が省略されて、比較的手に入りやすいナズナやアブラナのみを使った菜粥で代用している地域もあるようです。

現在は新年の季語になるなど親しまれる七草の行事ですが、七草の節に付随する行事として、七草爪と七草囃しを見てみましょう。

「(七草の祝)」(窪俊満、1798  大英博物館)の画像。
【「(七草の祝)」窪俊満、1798 大英博物館】

「七草爪」は別名薺爪とも呼ばれる行事で、七草を浸した水で爪を湿らせてから切るというものです。

こうすると風邪を引かないという効果があると言い伝えられていたのです。

また、七種爪・薺爪は、七草や七草粥、七草打ち・薺打ちなどとともに新春の季語にもなっていて、様々な芸術の題材にもなっています。

七草叩き(『七草薺物語 6巻』墨川亭雪麿(和泉屋市兵衛、文政12年(1829))国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【『七草薺物語 6巻』墨川亭雪麿(和泉屋市兵衛、文政12年(1829))国立国会図書館デジタルコレクション】

「七草の囃し」は七草の祝に、前日の夜または当日の朝に行う行事です。

これはまず、まな板にナズナあるいは七草と台所にある 擂り粉木や杓文字などを載せて、吉方(恵方)を向きます。

そして、「唐土(とうど)の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に なずなななくさ ななくさなずな」あるいは「唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬ先に、ななくさなずな手に摘みて」などと唱えながら まな板のものを叩きます。

こうすると、悪鳥(凶事)を避けることができるとされていました。

年末年始は おせち料理や忘年会など、飲んだり食べたりする機会の多い時期です。

医学的に見ても、疲れた胃腸をいたわり、不足したビタミン類を補うのに最適な料理とされています。

「源氏浮世絵合 若菜上」(歌川国芳、1845~46 大英博物館)の画像。
【「源氏浮世絵合 若菜上」歌川国芳、1845~46 大英博物館】

七草粥 目次①七草粥作ってみました②七草粥ってなに?③どうして七草粥?

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