みなさん、書初めしたことありますか?
小学校の時、冬休みの宿題でやった記憶のある方、多いのではないでしょうか。
私も、流しや床など、家のあちこちに墨汁が付いてしまってなかなかとれず困り切った記憶が鮮烈に残っています。
そもそも、書初めってなぜするのでしょうか?
知ってるつもりでも明確に答えられなかったので、私は調べてみることにしました。
すると、時代は変われども変わることない親心が見えてきました。
それでは、書初めの歴史をたどってみることにしましょう。
書初めとは?
新年にその年はじめて毛筆で文字を書く行事で、吉書(きっしょ)、試筆、初硯(はつすずり)、席書初めなどとも言います。
現在では1月2日に行うことが多いですが、江戸の寺子屋では5日に行っていました。
書初めはいつからある?
そもそも書初めとは、宮廷や寺院における年頭の儀礼として行われてきたものが、武家や庶民にまで拡がったとされています。
たとえば、『庭訓往来』(南北朝~室町時代初期に成立)三月条に「吉書、令撰行吉日吉辰」とあるのがそのよい例です。
また、中世越後の国人領主であった色部氏の『色部氏年中行事』(江戸時代初めに成立)には、吉書は正月三日の夜に門松を納めた後に行われ、領主と家臣・百姓衆らが一堂に会して行う椀飯行事のなかで執り行われたことが記されています。
こうした支配層の儀礼に在地社会の人々も参加することで、徐々に庶民層においても年頭の書初めが普及するようになっていったのです。
席書会とは?
また、寺子屋で稽古する習字のまとめが席書で、その成果を見るのが毎年四月と八月の二回行う席書会(発表会)です。
生徒がその場で揮毫した書を室内の四面にはって観覧しながら、生徒は赤飯を食べて遊びました。
正月5日に行う書初めでも、席書発表会とおなじ行事を行っていたのです。
そのため、江戸では、書初めが武家や商家から庶民まで幅広く行われるようになりました。
なかでも、書画品評会が盛んに行われていた柳橋の万八楼(現在の亀清楼)では、年頭の席書会が特に盛大に行われました。
そして、書家や画家を招いて屛風や扇子などにその場で揮毫した書画を鑑賞する、いわばプロの書初め会が行われていたのです。
これは、江戸時代後期には特に有名で、度々川柳や浮世絵の題材になるほどでした。
そののち、書初めは明治時代になると学校教育により、日本全国で広く一般に行われるようになっていきます。
書初めはなぜするの?
ここまで見てきたように、書初めは子供に限った行事ではありませんでした。
もともとは仕事始め的な意味合いや、普段集まることがない人々が一堂に会する行事だったりと、現代の書初めとはだいぶ違った意味合いがあったのです。
しかし、字を書くのが上手になるように祈る意味合いもあったのは言うまでもありません。
一例をあげると、めでたい文言を書いた書初(吉書)を神棚などに上げた後、小正月の火祭り(左義長・どんと焼き)の火に投じ、高く舞い上がるほど手が上がるという風習は全国各地に今も残っています。
九州地方ではこれを吉書揚げと呼び、正月七日の鬼火焼きの時に書初を竹にはさんで燃やし、灰が高く上がるのを喜びました。
現在も全国で子供たちの書初め大会が開かれたり、学校の書道教育の一環としてもその習慣は続いています。
ですので、私には、書初めには字を書くのが上手になるよう祈願する意味に加えて、よく学べるように、良い学びができるように祈念する意味合いも込められているように思えてなりません。
しかしながら、書初めの機会に、大人たちが子供たちの成長を実感するとともに、それを喜ぶ行事になっているのは、今も昔も変わっていないのではないでしょうか。
この文章を作成するにあたって、以下の文献を参考にしました。また、文中では敬称を略させていただきました。
大島健彦・大森志郎ほか編『日本を知る事典』1971 社会思想社、
西山松之助・郡司正勝ほか編『江戸学事典』1984弘文堂、
福田アジオ・新谷尚紀ほか編『日本民俗大辞典』1999吉川弘文館、
川添登・一番ケ瀬康子監修 日本生活学会編『生活学事典』1999 TBSブリタニカ、
加藤友康・高埜利彦ほか編『年中行事大辞典』2009吉川弘文館
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