私は主夫で、家事や育児の合間をみては橋を見に行っています。
まったくの文系で建築の専門知識はありませんが、ただ にやにやと橋を眺めるのが好きなだけの橋マニアです。
さて、今回のお話です。
うちの子供たちは、あるもについて好きか嫌いか尋ると、よく「フツー」と答えてきます。
それって好きの、嫌いなの、どっち!と、私はいつも困惑してしまいます。
そんなはっきりしない「普通」ですが、中にはスゴイ普通もあるから曲者。
今回はそんな、「スゴイ普通」の極めつけのお話です。
30年ほど前の話です。
私は大きな荷物を抱えて、隅田公園を北へと急いでいました。
時は九月も末の日曜の午後、秋とはいえ汗ばむ暑さで空気はむしむしとまとわりつくようです。
そんな私の頭の中は、呪文のように一つの単語を繰り返していました。
ひょっとしたら、口から出てしまっているのかもしれません、すれ違う親子連れが怪訝な顔で私を見ています。
その言葉とは、「ゲルバー」、悪の秘密組織を連想させるその響きに、私の期待は大いに高まるのでした。
話を少し前に戻しましょう。
関西から資料調査と称して週末に上京し、一泊二日で気が向いた資料を手当たり次第に読み漁る、そんなことをしていた私は、ある図書館で昭和初期のガイドブックらしきものに出会います。
「見よ!ゲルバーの威容!墨田の美観!大東京の絶景!近代式の言問橋」という!マーク連発、やたらあおるタイトルに目が釘付けになりました。
ゲルバーとは、なんと素晴らしい響きか!
すっかり乗せられた私は、記事をざっと見ると、大きな荷物を抱えたまま、言問橋に向かいます。
ゲルバー、ゲルバー、ゲルバー・・・ゲルバーの何たるかも知らぬまま、まるで呪文のように唱えながら歩くと、ようやく巨大な橋台らしきものが見えてきました。
生い茂った木々で橋が見えず、ぐるりと回りこんで橋の上に登った私が見た光景はというと・・・
「・・・なんか、普通やなあ・・・」
そうつぶやいたきり、しばらく呆然と立ち尽くしたのでした。
それから重い足を引きずって浅草駅にもどったとき、土埃で荷物から靴から真っ白になっていた みじめな光景が今でも脳裏に焼き付いています。
言問橋が あまりにも普通だったことに衝撃を受けた私は、わざわざ足を運んだ事実そのものを忘れてしまおうとしたのでした。
昭和初期のガイドブックはうそをついていたのでしょうか?
それとも無知な私が勘違いしたのでしょうか?
不思議に思うかもしれませんが、ガイドブックはもちろん、私も間違ってはいなかったのです。
それではいったいどういうことなのでしょうか?
次回からはこの私に訪れた小さな悲劇を検証してみまたいと思います。
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