私は主夫業のかたわら、隙さえあれば橋を見に行く橋マニア、今回も私と橋を巡るあれこれをお話ししたいと思います。
みなさんは些細なことで子供の成長を知り大いに驚く、といった経験はありますか?
例えそれが期待したものだったとしても、そうではなかったとしても、なんだか気恥ずかしくうれしいものですよね。
今回はそんなお話です。
ゴールデンウィーク明けのひどく暑い日のことです。
地域のお祭り準備が本格化する前に、ちょっと遠出したくなって、「橋の世界のレジェンド」、八幡橋(旧弾正橋)をはじめて見に行った時のことです。
見るのに夢中になった私は、暑さにやられてしまいました。
ぐったりしつつ、ほうほうの体で なんとか近くの高架道路の陰に逃げ込んで休んでいると、ふと見慣れない石造物がポツリと置かれているこではありませんか!
高速道路の高架の感じや街区から、ここがかつて川だと分かるのですが、この時点ではまだ私は油堀川という存在を全く知りませんでした。
さて、写真が和倉橋の跡地ですが、石造物がわかりますか?
さて先ほどの石造物、橋の留柱らしき雰囲気ですが、妙にモダンでおしゃれです。
ひょっとして復興橋梁か!と胸をときめかせたのも一瞬で、あたりを見渡しても橋らしきものがどこにもなくて、がっかりしました。
留柱は橋の象徴的存在とはいえ、あくまで橋の付属品、それだけじゃぁなぁ、などと考えつつ、石造物の正面に回り込んだ私は驚きました。
石造物のまん中に据えられた橋名板に、何とも言えぬ味わいのあるではありませんか!
いちおう陽鋳に分類されるのでしょうが、整ったものではありません。
見たところ、鋳型の砂か真土に棒で直接書いたでしょうか。
よく見ると棒らしき円い跡が文字の端がそこここに残っていることからすると、かなり力を込めて丁寧に書き上げたものと見受けました。
そして文字になんだか愛着を感じて、しばらく見入っていたのです。
そして改めてこの石造物を見ると、裏側に金属の当たっていた痕跡が確認できます。
この跡は、金属製の高欄の痕跡に違いなく、この石造物が橋の留柱と親柱を兼ねたものだとみて間違いないでしょう。
親柱の曲線もいい感じで、磨き上げられた大理石特有の滑らかな手触りがまだ少し残っているのもいい感じです。
さて、橋の本体はなくとも、なんだか気に入ったこの親柱。
その魅力の根源は橋名板の文字にあるとにらんだ私は、さっそく写真にとって書道をたしなむ上の娘に、どういう人が書いたものか見てもらうことにしました。
お姉ちゃんは「目利き」の前に、この橋の歴史を知らないといけません。
そこで、次回からはみなさんと一緒にこの橋の歴史をたどってみたいと思います。
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