前回まで首都高両国大橋の建設にあたってクリアすべき問題を見てきました。
そしてさらに恐ろしいことに、この場所にはすでに、水害から地域を守る巨大な堅川水門が造られていたのです。
ここで堅川水門について少し見てみましょう。
堅川水門は東京都江東治水事務所が管理する、堅川が隅田川に合流する川口に造られています。
鋼製で単葉ローラーゲート形式、径間は11mのもの2連、門扉の高さ8.86m、昭和34年の竣工ですので、首都高の工事に10年近く先んじています。
この水門は平成29年度に耐震化工事が完了し、現在は門扉が新しくなりました。
この水門の重要な役割を東京と設置の説明板から引用します。(写真は仙台堀川改修工事の案内板からの引用です)
「隅田川と荒川に挟まれた江東三角地帯は、ゼロメートル地帯といわれ、満潮時には大部分が水面下となり、過去たびたび大水害に見舞われてきました。外郭堤防・水門・排水機場は、高潮や洪水、津波などの水害から、この地域の安全を守るはたらきをしています。」
「江東三角地帯には、小名木川、竪川などの堀状の内部河川が縦横に流れています。竪川水門は、竪川が隅田川に合流する地点に設けられ、平常時は開放されていますが、台風が接近し高潮のおそれのある場合はもちろん、台風以外でも高潮位が予想されるときは閉鎖します。また、地震により津波のおそれが生じたときは、ただちに閉鎖します。」
このように、堅川水門は江東地域の安全を守る重要な役割を担っていますので、首都高を建設することでその機能を妨げることは絶対に避けなければなりません。
ここまで見てきたように、首都高6号7号の2つの路線は巨大な堅川水門の機能を妨げないように通過する必要に迫られます。
とりあえず、基本的に橋が水門を超える高さまで上げれば問題はクリアできます。
ところが、2つの路線が合流するのですから、どちらかの路線を分離しないと合流できません。
7号が通る堅川は川幅が狭いので路線をカーブさせた場合の用地が確保できませんので、十分な広さがある隅田川上の6号線を分離するのが自然です。
ですので、分離したうちの下り車線は自然にY字に分岐すればよいのですが、上り車線は、そのままだと下り車線にぶつかってしまいますので、そうはいきません。
だったらと上り線をさらに高く上げると高くなりすぎて危険なので、7号線をくぐる形にせざるを得ないのです。
このように上り線が下り線をくぐる形にすると、堅川水門の前を通過することになってしまいます。
ですので、船の通行が可能な高さを維持したまま7号線をくぐって隅田川を渡り切る前に合流するという針の目を通すような離れ業で問題を解決したのです。
しかし、ここでさらに大きな問題が生じてきます。
堅川水門があるので6号下り車線を支える橋脚の建設が可能な場所がありません。
ここであの、上から吊るという超ウルトラCのアイデアが誕生したのです。
曲芸的な立体的構造と、ワイヤーを使った吊り構造を部分的に導入するといった独創的構造が高く評価されて昭和44年度(1969)土木学田中賞を受賞したのです。
ここまで首都高両国大橋の隠れた数々の工夫についてみてきました。
それでは、この橋を建設した首都高速公団はどんな思いでこの橋を造ったのでしょうか?
次回はこの謎に迫っていきたいと思います。
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