東京に夏の到来を告げる風物詩、「浅草ほおずき市」は、江戸っ子のみならず、外国人旅行客にも大人気な歴史ある伝統行事です。
目にも鮮やかな鬼灯を見ると、いかにも夏が来た!って感じさせてくれます。
ですが、なぜほおずきなのでしょうか? どうして浅草なのでしょうか?
よく考えてみると、知っているようで知らないこと、不思議なことが次々と出てくるではありませんか!
そこで今回は、地域の魅力をご紹介する鳥蔵柳浅が、少し足を延ばし、浅草寺のほおずき市の歴史と由来をご紹介します。
地域の魅力をご紹介する鳥蔵柳浅、今回は少し足を延ばして浅草寺のほおずき市をご紹介します。
夏を無事に過ごすために、江戸の人々は様々な工夫をしてきました。
そのうちの一つが、ほおずきを軒先に飾ることです。
このほうずきを浅草寺まで買いに行くのが、楽しい初夏の風物詩となっています。
そもそも、浅草寺は、推古36年(628)創建と伝えられ、江戸を代表する由緒正しきお寺にして観光名所です。
その浅草寺の「四万六千日の功徳日」って何なのでしょうか?
それを知るにはまず、話を平安時代にまでさかのぼる必要があります。
日本に仏教が伝わって600年ほど経った平安時代後半になると、仏教もすっかり定着するとともに土着化してきました。
そして、当然の成り行きとして、それぞれのお寺がより多くの信者を獲得すべく、あの手この手と工夫するようになっていきます。
その工夫の一つが「功徳日」というもので、その日に詣でると10日分とか100日分とかの功徳が得られる、と言う特別な日を設けることでした。
例えが悪いかもしれませんが、そのお得感から、私はスーパーのセールを思い起こしてしまちゃいます。
夏の一大イベント、みんな楽しみにしています。写真提供:守山泰弘さん】
そして浅草寺でも、月に一度の功徳日が設けられて現在まで大切に守られてきました。
お寺同士の競争などもあって次第にインフレのようになり100日が千日、一万日と増えて、室町の終わりには、ついに浅草寺で四万六千日の功徳日があらわれるまでになります。
これが7月10日、およそ126年分、一生を超える功徳ガ得られるとあって、江戸の老若男女が浅草寺へ押しかけることとなったのです。
そして江戸時代になると思わぬ展開を見せるのですが、それは後編で見てみましょう。 (後編に続く)
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