前回まで橋としての浅草橋の歴史を見てきました。
今回は現代の浅草橋の姿から見えてくることを記します。
【目次】その1:橋梁としての浅草橋とは? ・・・ その2:浅草橋の先代たち ・・・ その3:浅草橋受難の歴史 ・・・ その4:現在の浅草橋に学ぶこと
話しを現在の浅草橋に戻しまして。
現在の浅草橋は、 累代の華やかさはどこへやら、ほとんど飾りっ気もなく実用一点張りです。
この橋は、昭和5年1月竣工、工事期間は2年余、 一径間の鋼鉄製アーチ橋で、橋長35.8m、幅員33mです。
設計も復興局とあるだけで、設計者の個人名は分かりませんでした。
下流側の柳橋や、上流にある聖橋のような華麗な装飾や特徴ある構造は見られず、さっぱりした実用的な橋です。
まるで飾りっけのない現代の浅草橋、例えば橋名表示盤に注目すると、いたってシンプルです。
いろいろ調べましたが、これがどなたの揮毫なのか解明できませんでした。
そして私はこの橋を見て、偉大な祖父や多大な業績を上げた父を持つ友人たちのことを思い出します。
歴史ある会社やお店が多いこの町で、見えざる重圧に苦しむ彼らの姿に重ね合わせてしまうのです。
― ひたすら自分の仕事を誠実にこなす。
私はこの橋を見る時、先代、先々代のような華やかさはなくとも、一見地味で存在を忘れられようとも、己の仕事を誠実に黙々とこなす彼らの後ろ姿を思い出さずにはおれません。
そして彼らにぜひ気付いてほしいのです。
現在の浅草橋が、先達が短期間で倒れた過酷な環境の中で、東京大空襲の業火にも耐えて、すでに90年近く私たちの町と人々の暮らしを支え続けている事実に。
私はいつも浅草橋の上で、「自分の仕事に誠実に向き合う大切さ」をしみじみと噛みしめるのでした。
この文章をまとめるにあたって以下の文献を参考にしました。
参考文献:『帝都復興區劃整理誌』1932 東京市役所、『東京の橋 ―水辺の都市景観』伊東孝(鹿島出版、1986)、『東京の橋 -生きている江戸の歴史-』石川悌二(新人物往来社、1977)、『東京の橋100選+100』紅林章夫( 都政新報社)
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