前回見たように、首都高両国大橋の謎について自分の説を話して娘たちにこっぴどく叱られたのでした。
では実際の正解はどうでしょうか?その答えは数年後にあっさり見つかりました。
ある時、本屋で紅林章夫『東京の橋 100選+100』(2018都政新報社)を見つけたので読んでいると、問題の箇所について「両国大橋」として記載があります。
「橋の下に水門があり、首都高の橋脚が設置できなかったため、上の橋桁から下の橋桁を吊った世界唯一の構造。昭和44年の土木学会田中賞。」
橋のデータも以下のように掲載されていました。
「墨田区両国1丁目~千歳1丁目 3径間連続鋼床鈑桁橋 開通:昭和44年 橋長:329.5m」
世界で唯一!確かに、これ以上ないくらいユニークな構造なのです。
この土木学会田中賞というのは、橋の世界で最も権威のある賞。
賞の名は、関東大震災からの復興事業で永代橋や清洲橋、言問橋など多くの設計を主導するなど、土木学の発展に大きく寄与した田中豊の名前を冠しています。
そして、この賞は昭和41年に設置されて以降、優れた橋の論文や建設に贈られてきました。
ちなみに、この橋が受賞した昭和44年は、イギリス・オークランド市のオークランドハーバー橋 (Auckland Harbour Bridge)と、大阪府大阪市にある阪神高速新大和川大橋が同時の受賞です。【公益社団法人 土木学会HPによる】
それでは、もっと具体的にこの橋のすごさとユニークさを見てみましょう。
前回触れたように、首都高は東京オリンピックまでのわずかな期間で建設しなければなりませんでした。
そこで、用地買収にかかる時間と費用を抑えるために、東京を縦横に走っていた堀や川をその建設用地に充てます。
具体的には、楓川の底を通って来たC1号線が江戸橋ジャンクションで分岐、一方は日本橋川、神田川をさかのぼって池袋方面に行く、これが首都高5号池袋線です。
江戸橋ジャンクションで分岐したもう一方は、日本橋川と箱崎川の上を通って隅田川に出ると、隅田川右岸を北上、これが首都高6号向島線です。
地図を見ても、橙色の首都高が直角カーブが連続する ものすごい状況なのが分かります。
いっぽう、7号小松川線は6号向島線から分岐して堅川の上を東進しています。
写真は堅川一ッ目橋から見た光景ですが、見事に堅川にフタしています。
この二つが分岐・合流するのが両国ジャンクションで、ジャンクションのほぼすべてが今回の両国大橋の中に納まっているのです。
では、なぜ橋=ジャンクションになったのでしょうか?
これは、建設用地が隅田川と堅川の河川上に限られているので、自然と合流位置も決めざるを得ません。
つまりその位置が二つの川の合流点である両国大橋なのです。
しかもジャンクションの建設に充てる用地は周囲にはありませんので、すべてを隅田川の上で納めなければなりません。
こうして隅田川を渡る橋であると同時に、2つの路線が合流するジャンクションにもなるという大変厳しい条件下で作る必要があったのです。
首都高両国大橋建設には、さらに大きな問題がふりかってきます。
次回は、この更なる難問についてみていきたいと思います。
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