前回まで久松(松平)家五代の歴史と地域とのつながりを見てきました。
今回は明治時代に日本橋区浜町二丁目(現在の東京都中央区浜町)に置かれていた久松伯爵家浜町邸跡地と久松小学校周辺を歩いてみたいと思います。
久松伯爵家浜町邸
明治5年4月、当時の当主・定昭療養のために、三田の藩邸を売却して日本橋区浜町水野忠啓(忠幹)の邸宅を購入して移ってきたのが久松家浜町邸です(⑦話参照)。
浜町邸宅は三千坪の広大な屋敷で、邸宅に付随していた「お長屋」を寮として開放したうえに、学生の事情によっては学資を給付したことは前にみたとおりです。
これが発展して、明治16年7月には久松家の出資により常盤会が設立され、この地に学生寮が造られました。
ちなみにこの時、常磐会第一期生として正岡子規が入寮しています(⑨話参照)。
浜町邸宅跡地
それでは、かつての久松家浜町邸を実際に歩いてみましょう。
この辺りは、オフィスビルとマンション・戸建て住宅が並ぶ静かな街となっています。
また邸宅跡地から南を望むとかつての島津公爵家浜町邸(現在のトルナーレ日本橋浜町)、東を望むと同じく細川侯爵邸(現在の浜町公園)が指呼の距離にあるのがわかります。
かつての邸宅敷地の一角、静かな住宅地のまん中に元徳稲荷神社があります。
この神社は肥後熊本藩上屋敷に祀られていたものを現在地に移したとされています。
そして注目すべきは合社されている綱敷天満神社です。
史料が失われて由来がはっきりしないのですが、もともとこの場所付近にあったと伝えられています。
祭神はもちろん菅原道真、これはまさに久松家の祖先ですので、この神社が久松家と関係があるのでは、と推察されるところです。
ただ、社伝などの資料は失われて残っていないとのこと、ちょっと残念。
現在は地元町会の方々が社叢を改築されて、町の守り神として大切に祀られています。
元徳神社から少し西に歩くと浜町緑道公園が南北にのびているのが見えてきます。
ここはかつての浜町川を埋め立て造った公園で、邸宅の東端にあたる浜町川左岸一帯は「浜町河岸」として大いににぎわっていたところです。
今度は東に歩くと幅の広い大通りに出て、美しい並木の向こうには、浜町公園と明治座がみえてきました。
これが清洲橋通りで、関東大震災からの復興事業で造られた地域のメインストリートです。
ちょうどこの道のまん中あたりが邸宅敷地の東端にあたります。
久松小学校
これで屋敷跡をぐるりと一回りしてきたわけですが、さらに100mほど北に足を延ばしてみましょう。
すると、金座通りの向こうに久松警察署が見えてきます。
ここは明治初頭に東京の町を震撼させたピストル強盗の清水定吉ゆかりの場所(「東京 橋の物語」小川橋編参照)、日本橋久松町の南端にあたります。
警察署の西隣には久松町児童公園がありますし、公園を北に行くと中央区立久松幼稚園と久松小学校が建っていますので、そちらに行ってみましょう。
前にみた通り、この日本橋久松町という地名は、元禄年間からある古い地名で、由来は不明ですが長く親しまれてきた名前です。
しかし、久松家が久町小学校設立の時に多大な支援をしたことをきっかけとして縁ができて、現在も続く交流が生まれたのは前にみたところです(⑩話参照)。
久松小学校と久松伯爵家浜町邸は、かつて浜町川の流れでつながっていましたが、現在川は埋め立てられて公園となっています(「東京 橋の物語」元高砂橋編・高砂橋編参照)。
この「久松児童公園」にはいつも元気な子供たちの歓声が響いており、住民憩いの場として愛されています。
日本橋久松町
久松小学校から道を渡った附近も久松町、中小のオフィスビルとマンションが混在する静かな街です。
その一角に久松稲荷神社が町の鎮守様として大切に祀られています。
江戸の旧地名が次々と失われていく中で、久松町の名は、氏神様と共に今も大切にされていました。
先ほども述べたように町への思いの中に久松家への感謝が含まれていることは、ある意味歴史と現在がつながって生活を深みのある豊かなものにしているのがわかります。
これは、住民にとっても久松家にとっても幸せなこと、とても素晴らしいと私は思うのでした。
この文章を作成するにあたって以下の文献を参考にしました。
また、引用文献はその都度記載しています。
参考文献:『東京市及接続郡部 地籍台帳』東京市区調査会1912、
『現代人名辞典』吉本万亀治郎編(中央通信社、)、
『愛媛県史 近世 上』愛媛県史編さん委員会編(愛媛県、1986)、
「久松家家譜」(『松山市史料集 第2巻』松山市史料編集委員会編(松山市、1987))、
『角川地名大辞典 愛媛県』角川地名大辞典編纂委員会(角川書店、1988)、
『三百藩藩主人名事典 第四巻』藩主人名事典編さん委員会(新人物往来社、1989)、
『三百藩家臣人名事典 第六巻』家臣人名事典編纂委員会(新人物往来社、1989)、
『華族総覧』千田稔(講談社、2001)、
『愛媛県の歴史』内田九州男ほか(山川出版、2003)、
『藩史物語2』八幡和郎(講談社、2010)、
『藩史大事典 第6巻中国・四国編』木村礎・藤野保・村上直(雄山閣、2016)、
東京都中央区立久松小学校HP、松山市萬翠荘HP
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