前回まで見たように、R君の特別講義で丸ノ内線のことを大いに学んだ私でした。
しかし、日常にかまけてすっかり忘れてしまっていた そんな中、私は思わぬ形で神田川橋梁との再会を果たすことになります。
以前に「昌平橋編」で、私と昌平橋との出会いについて書きました。
はじめての娘が生まれる直前に、昌平橋に励まされた、という話です。
昌平橋の姿に心打たれたまさにその時、私の目の前を神田川の水面近くを這うように下りの地下鉄丸の内線がゆっくりと通って行くではありませんか!
![夜の地下鉄丸ノ内線神田川橋梁の画像。](https://tokotokotorikura.com/wp-content/uploads/2020/05/DSCN6332補正2-768x1024.jpg)
暗くなり始めた中でも特徴のある赤い車体は、これが地下鉄丸の内線であることを教えてくれます。
頭上をJR総武線神田川橋梁と松住町架道橋を電車が通り抜けて行く中、電車の明かりは、自分を未来へと導いてくれる灯し火のように見えてきます。
多く電車が走り抜けるこの光景が、希望に満ち溢れた未来を見せてくれているに思えてならなかったのです。
そこに今度は上りの地下鉄丸の内線がゆっくりと通って行きます。
JRの電車がみなけたたましい音を立てて爆進するのに対して、遠慮がちにも見えるスローな動きに、こちらの方が気を揉んでしまうほど。
その姿はまるで、「私たち電車がそれぞれ速度が違うように、あなたたちも自分のペースで進みなさい」と言ってくれているように感じたのでした。
![地下鉄丸ノ内線神田川橋梁の画像。](https://tokotokotorikura.com/wp-content/uploads/2020/05/DSCN6460補正Ⅱ2-768x1024.jpg)
そして今回、改めて神田川橋梁を眺めてみます。
よくみると、わずかに御茶ノ水駅ホームが見えているのに気付きました。
なるほど、ひどくゆっくり走るのは御茶ノ水駅が近いからなんだ、と今更ながら納得します。
それから昌平坂下から見ていると、橋に「御茶ノ水橋りょう」「長さ36m500」と書いているのに気付きました。
おそらく塗装の記録ですが、ホームページなどの表記は「神田川橋梁」ですので、どっちが本当の名前やねん!という感じです。
こんな風に、何だか虐げられたこの橋ですが、今回大いに感心したことがあります。
聖橋と御茶ノ水橋の塗装工事と、JR御茶ノ水駅の大改築工事が同時に行われているこの段階でも、わが神田川橋梁はあくまでも控えめで目立ちません。
聖橋が幕で覆われていても、足場だらけになっても、なんの飾りもなく脇役に徹する姿は涙を誘うほどです。
いやいや、よく見ると、昭和の初め以来、日本を代表数する都市景観として知られる景観のなかにサクッと紛れ込んでいます。
さも前からありましたとでも言わんばかりに、すっかり溶け込んでいるのです。
![夜の地下鉄丸ノ内線神田川橋梁の画像。](https://tokotokotorikura.com/wp-content/uploads/2020/05/DSCN6320補正2-768x1024.jpg)
よくよくこの橋を眺めていると、私は奈良の西大寺四天王像の足元にひれ伏す邪鬼の姿を思い出しました。
この天平の頃からひれ伏し続ける邪鬼たちは、次々と変わる四天王をよそに、千年以上の時の中を変わらず耐え続けて、今や上に乗る江戸時代の像なぞいつでも払いのけんばかりの凄みとふてぶてしさを持つまでになっているのです。
この橋も案外、主役の聖橋を引き立ててやっている、それくらいふてぶてしいことを考えているのかも、などと考えてしまって、思わず顔がにやけてしまうのでした。
![「四王堂四天王像広目天邪鬼」(『南都七大寺大鏡 西大寺大鏡 第27集』東京美術学校編(南都七大寺大鏡発行所、大正11年)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。](https://tokotokotorikura.com/wp-content/uploads/2020/12/「四王堂四天王像広目天邪鬼」『南都七大寺大鏡 西大寺大鏡 第27集』東京美術学校編(南都七大寺大鏡発行所、大正11年)国立国会図書館デジタルコレクション補正.jpg)
今回の原稿を書くにあたって、東京メトロのWebサイト、メトロアーカイブを参考にしました。記してお礼申し上げます。
そしてもちろん、古くからの友人R君にも感謝するところです。
![地下鉄丸ノ内線神田川橋梁の画像。](https://tokotokotorikura.com/wp-content/uploads/2020/12/DSCN9942補正2-1024x768.jpg)
次回は竜閑さくら橋です。
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