自然と共存する橋へ 扇橋(おうぎばし)⑤

前回まで扇橋の歴史についてみてきました。

今回は、現在の扇橋について、エピソードを交えて改めてみていきたいと思います。

私が扇橋を訪れた時に、あまりに表情がないように思い驚いたことは初めに記しました。

新扇橋の画像。

それを裏付けるかのように、私の手控えではこの橋の上を二度ほど通っているはずなのに記憶がありません。

じつは通りかかったときに近在の方にこの橋の所在を訪ねており、とてもご親切に新扇橋と扇橋閘門を案内していただいた、とメモしているのです。

新扇橋の単径間鋼製アーチ橋が美しく小名木川に映える姿と、大迫力の扇橋閘門の姿ははっきりと覚えています。

扇橋閘門の画像。

扇橋町1丁目にお住まいという年配男性は、なんだか誇らしげに扇橋閘門を「日本のパナマ運河」と紹介してくださった姿が目に焼き付いています。

ここまで思い出すと、なんだか扇橋町のシンボルが、橋ではなく扇橋閘門になっているような気がしてきました。

もっとも、閘門の名前も扇橋に由来するので、この橋がかつては地域のランドマークだったことに違いはありません。

こうして扇橋閘門の開閉を眺めていた私ですが、ふと当初の使命を思い出しました。

扇橋の画像。

扇橋に現在、タヌキはいるのでしょうか?

大横川沿いに緑道はありますが、タヌキが好みそうな藪などは見当たりません。

フンや毛はないか探してみましたが、ついに見つかりませんでした。

今頃は子育ての時期かと思い耳を澄ませてみても、聞こえてくるのは街の喧騒だけ。

残念ながら、現在の扇橋周辺にはタヌキは生息していないようです。

「狸」(『花鳥写真図鑑4』岡本東洋(平凡社、1930)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【「狸」『花鳥写真図鑑4』岡本東洋(平凡社、1930)国立国会図書館デジタルコレクション】

帰って娘たちに残念な結果を報告しました。

すると彼女たちは案外ケロッとしたもので、「やっぱりね」とか言ってます。

しかし、近年タヌキの生息地は23区内のほぼ全域にまで広がっており、江東区内にも生息の情報があります。

映画『平成狸合戦ポンポコ』で描かれたように、案外タヌキが街中での暮らしに適応していることだってありえます。

扇橋の画像。

思い返してみると、現在の扇橋は目立たない=自己主張が強くない橋です。

激しい交通量を支える役割をしっかりとこなしていますし、薄く見えるように工夫された桁が大横川の水面に映える姿は見事というほかありません。

また、黙々と自分の役割に徹する姿には、心打たれるものがあります。

そういう意味では、地域の皆さんの暮らしにすっかり溶け込んでいるといってよいのではないでしょうか。

だからこそ、再びタヌキが戻る余地があるのでは、と考えます。

そんな話をした後に、「いつかまた、この場所でまたタヌキが暮らせるくらい環境がよくなってるといいね」と三人が心から願うのでした。

私は、近い将来にきっとそうなると確信しています。

なんといっても、「扇橋」には「狸」は無くてはなりませんから。

お後がよろしいようで。

「白龍狸」(『うぐひすの謡』森三郎(拓南社、昭和18年)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【「白龍狸」『うぐひすの謡』森三郎(拓南社、昭和18年)国立国会図書館デジタルコレクション】

この文章を作成するにあたって、以下の文献を引用・参考にさせていただきました。(順不同、敬称略)

また、文中では敬称を省略させていただきました。

引用文献など:谷崎潤一郎『幼少時代』青空文庫、

『深川区史 上巻』深川区史編纂会編(深川区史編纂会、1926)、

『江東区史』東京都江東区役所編(江東区役所、1957)、

江東区HP

参考文献

石川悌二『東京の橋 -生きている江戸の歴史-』1977新人物往来社、

伊東孝『東京の橋―水辺の都市環境』1986 鹿島出版会、

東京都建設局道路管理部道路橋梁課編『東京の橋と景観(改訂版)』1987東京都情報連絡室情報公開部都民情報課、

街と暮らし社編『江戸・東京文庫① 江戸・東京 歴史の散歩道1』1999 街と暮らし社、

紅林章央『東京の橋 100選+100』2018都政新報社

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