花見の完成  花見と桜の歴史⑥

【花見と桜の歴史】①花見の謎、桜の罠?②花と言えば梅?桜?③「花は桜木 人は武士」④花見の革命⑤花見は幕府の陰謀?⑥花見の完成

現在は桜と言えばソメイヨシノ、その開花の前線は桜前線として連日マスコミでも放映されて、私たちに春の到来を教えてくれます。

ところで、このソメイヨシノとはどのような桜なのでしょうか?

今回は花見の風景を一変させた、花見を革新したソメイヨシノという桜について見てみましょう。

「縁江戸桜 市川八百蔵(三世)助六」(鳥居清長、1784 メトロポリタン美術館)の画像。
【「縁江戸桜 市川八百蔵(三世)助六」鳥居清長、1784 メトロポリタン美術館】

現在の桜の名所は、ソメイヨシノが群生するところが主流です。

このソメイヨシノは、江戸時代の末頃に植木屋が集まった染井(東京都豊島区駒込)で、エドヒガンとオオシマザクラを交配して作られた園芸種です。

花つきが良く、葉が出る前に咲くことから爆発的に全国に広がりました。

これって実は、染井を中心に江戸時代を通じて桜の品種改良が盛んに行われいたのですが、その完成品がソメイヨシノです。

ソメイヨシノ登場以前は、その片親のエドヒガンが多く植えられていました。

江戸時代に盛んになった花見は、このエドヒガンが主流だったのです。

エドヒガンは桜の中では最も寿命が長く、現在でも各地に巨木が残っています。

そしてこの桜、葉が出る前に花が咲く特徴を持っていますが、生育に時間がかかる難点がありました。

そこで、成長が早く花が大きいという特徴を持つオオシマザクラを合わせて、親種の利点を兼ね備えたソメイヨシノが生み出されたのです。

ソメイヨシノはまさに桜並木を作るために作られたといえる存在といってよいでしょう。

「千代田大奥 御花見」(楊洲周延(具足屋福田熊治郎、明治27年)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【「千代田大奥 御花見」楊洲周延(具足屋福田熊治郎、明治27年)国立国会図書館デジタルコレクション】

ではなぜ桜の品種改良が盛んに行われたのでしょうか。

さきほど、私たちは前に江戸幕府が桜の名所を作ったことを見てきました。

そして、長大な桜並木を整備するには、花が見栄えするだけでなく、生育が早く手入れしやすい品種を作り出すことが必要だったのです。

こうしてみると、ソメイヨシノの誕生には幕府の政策が大きく影響したという指摘も納得できます。

しかしそれだけでは原因ではありません。

幕府が蒔いた種が江戸っ子の中で大きく育ち、より美しい花を求める心が花開いたのです。

こうして江戸っ子たちの夢がソメイヨシノという理想の桜に結実しました。

「中川堤の桜祭り」昭和32年(1957)の画像。
【「中川堤の桜祭り」昭和32年(1957)】

江戸っ子の美意識から生まれたソメイヨシノは、明治時代前半に瞬く間に全国に広がって各地に桜の名所を誕生させました。

それとともに江戸っ子の花見も全国に広まって、現在の花見となったのです。

北は北海道から南は九州まで拡がったソメイヨシノですが、3月から北上する桜前線に日本国民は胸をときめかすようになっているのはご存じのとおり。

日本の風土と長い歴史に育まれた桜は、日本人の美意識を象徴するものとして日本人の心に刻み込まれています。

古代からの歴史と伝統は、現在のわれわれの心をとらえて離しません。

こうして日本人は春の到来に酔い桜に浮かれることとなったのです。

「桜詩」(恩地孝四郎、1946 大英博物館)
【「桜詩」恩地孝四郎、1946 大英博物館】

江戸幕府の策略から誕生した現代の花見ですが、今や日本を代表する光景となりました。

日本独自の文化である花見は、美しい桜とともに日本のかけがいのない世界に誇る財産なのです。

この文章を作成するにあたって以下の文献を参考にしました。(順不同、敬称略)

また文中では敬称を略させていただいております。

西山松之助・南和男ほか編『江戸学事典』1984弘文堂、福田アジオ・新谷尚紀ほか編『日本民俗大辞典』1999・2000吉川弘文館、国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』1992吉川弘文館、木村茂光・安田常雄ほか編『日本生活史辞典』2016吉川弘文館、東京学芸大学地理学会30周年記念出版専門委員会編『東京百科事典』1982㈶国土地理協会、小木新造・陣内秀信ほか編『江戸東京事典』1987三省堂、神崎宣武・白幡洋三郎・井上章一編『日本文化事典』2018丸善出版、下中弘編『日本史大事典』1993平凡社

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