2月14日はセントバレンタインデーです。
バレンタインデーはクリスマス、ハロウィンやイースターとともに、欧米からやって来た新しい行事です。
このように本来は欧米の宗教行事だったものが、日本では戦後経済発展と核家族化の中で、宗教とは関係がなくなって独自の進化を遂げているのをご存じですか?
現代ではバレンタインデーは日本社会に広く定着し、すっかり冬の風物詩となりました。
今回はこのバレンタインデーの歴史をたどってみましょう。
まずはヨーロッパでバレンタインデーの誕生から見てみましょう。
バレンタインデーの源流は、3世紀後半のキリスト教の司祭バレンティヌスValentinus とローマ皇帝クラウディウスⅡ世ゴティクス(Marcus Aurelius Claudius:在位268~270) の逸話に由来するとされています。
さまざまな伝説があるのですが、ここではその一つを紹介しましょう。
皇帝クラウディウスⅡ世は、ガリエヌス帝の死後に騎兵隊司令官から皇帝の地位に就いた人物です。
彼は、ガリアやライン地方にゴート人が侵入したのを撃退したことでその名が知られる武断派の皇帝。
その後も東方のパルミュラ、北方のバンダル族の侵入など、ローマ帝国は周辺民族の侵入が続き、その対応に追われていました。
つまり、彼の治世は軍事的な大変に緊張が高まった時代だったのです。
このような背景があって、彼はローマ軍弱体化の大きな原因の一つと目される遠征兵士の赴任先での結婚を禁止する命令を発します。
たしかに、ローマの兵士が派遣先で現地女性と結婚すれば、その家族や親族がローマ国境を容易に越えられるようになるでしょうし、兵士も帝国への忠誠と家族を守る感情とで心が揺れ動くなんてことも想像できるところ。
帝国軍の弱体化を防ぐための措置というのも納得できます。
ところが、聖バレンティヌスはこの命令に反して結婚式を挙げました。
当時はまだキリスト教は公認されていなかったこともあり、彼はローマ軍に捕らえられて処刑されたのです。
その処刑された殉教の日が2月14日とされているのです。
こうして、人々の愛のために自らを犠牲にした人物として、聖バレンティヌスはみんなの心に刻まれたのでした。
また、バレンタインデーに欠かせないチョコレートなどを送る習慣、これもまた古代ローマの習慣に由来しています。
その習慣というのが、鳥がさえずり始める(愛をささやき始める)日を記念したといわれる2月15日の古代ローマの豊穣祈願祭ルペルカリア(Lupercalia)です。
ルペルカリアでは、その年の収穫を予祝して神にささげ物をするとともに、家族でカードを交換して愛や感謝を伝え合う日となっていました。
この習慣が1世紀に入ると、家族だけでなく、男女が愛を告白して贈り物をする習慣へと変化していきました。
こうしてヨーロッパでは、2月14日を聖バレンタインの日として男女問わず恋人や親しい人にカードや花ケーキなどを送ることが一般的になり、現代まで続いているのです。
今回は、古代ローマ帝国でのバレンタインデーの誕生から、現在のヨーロッパにいたるバレンタインデーの歴史を見てきました。
ここまで見ると、日本式バレンタインデーとはかなり違いがあることに気が付きませんか?
そこで次回は、日本式バレンタインデーが生まれた背景を探っていきたいと思います。
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