東京音楽学校出身の歌姫・松原操(ミス・コロムビア)が亡くなった日
6月19日は、昭和59年(1984)に歌手のミス・コロムビアこと松原操が亡くなった日です。
そこで、彼女の生涯をたどり、現在へのメッセージを探ってみましょう。
スターへの道
松原操は明治44年(1911)、北海道小樽市で生まれました、本名坂本操です。
東京音楽学校声楽科、研究科を卒業しますが、昭和8年(1933)音楽大学在学中に、覆面ミュージシャンである「ミス・コロムビア」の芸名で「浮草の唄」でデビューしました。
じつは、松原はコロムビアにスカウトされたのですが(オーディションに合格したとする説も)、当時は東京音楽学校在学中の商業活動は禁止、もし発覚すると退学処分は避けられないため、覆面歌手「ミス・コロムビア」としてデビューしたといいます。
また当時はライバル会社のビクターが、小林千代子のデビュー時に「金色仮面」名で売り出して話題を呼んだこともおおいに影響していたようです。
昭和8年(1933)の伏見信子・高峰秀子出演の映画「十九の春」の同名主題歌がヒットして一躍スターの座につきました。
美貌と美声を兼ね備えたコロムビアの看板歌手として、不動の人気を誇るまでになったのです。
霧島昇との出会い
昭和13年(1938)に映画『愛染かつら』の主題歌「旅の夜風」を霧島昇とデュエットすると大ヒットとなり、レコード売り上げ120万枚という戦前の最高記録を打ち立てます。
また、このデュエットがきっかけとなって、昭和14年(1939)12月17日に、音楽会の大御所・山田耕作夫妻を媒酌として帝国ホテルで結婚式を挙げたのです。
この人気歌手同士の結婚は「円盤上の恋」「レコードの恋」と呼ばれて、大いに世間をにぎわせたといいます。
また、映画『愛染かつら』は日本映画史上に残る空前の大ヒットとなって、青く編が4本も作られました。
これらの主題歌はすべて二人のデュエット曲で飾られたうえ、挿入歌の「悲しき子守唄」(1938)、「朝月夕月」(1939)など次々とヒット曲を生み出したのです。
黄金期
二人はおしどりコンビとして「一杯のコーヒーから」(1939)、「目ン無い千鳥」(1940)などのヒット曲を次々と発表しました。
夫の霧島昇は、松原以外の女性とのデュエットでも次々とヒットを生み出します。
高峰三枝子との「純情三重奏」(1939)、渡辺はま子との「蘇州夜曲」(1940)、並木路子との「リンゴの唄」(1946)、また単独でも「誰か故郷を想わざる」(1940)と、時代を代表する名曲の数々を耳にした方も多いのではないでしょうか。
いっぽうの松原も、結婚後は人気が落ちるという常識を打ち破り、「愛馬花嫁」(1949)、「大空に祈る」(1943)など、次々とヒットを飛ばして日本を代表する歌姫にまでなったのです。
しかし、流行歌はミス・コロムビア、声楽曲や軍歌は本名の松原操と芸名を使い分けていましたが、昭和15年(1940)に内務省がカタカナの芸名を禁じると、ミス・コロムビアの名を捨てて松原操に芸名を統一したのです。
引退
家事・育児と芸能活動を両立させてきた松原も、昭和23年(1948)に霧島・松原のデュエット「三百六十五夜」を最後に、松原は歌手生活と別れを告げました。
もともと体が丈夫でなかったため、あるいは育児に専念するため、はたまたヒロポン乱用の後遺症で歌えなくなったなど、さまざまな理由が言われるものの、真相は分かりません。
引退後は一男三女を育て上げ、長男の坂本紀男は東京大学主任教授となったほか、三女の大滝てる子は「二代目 松原操」として活動しています。
昭和59年(1984)6月19日に死去、享年73歳でした。
二人の愛情
ここで、松原が亡くなる前後のエピソードをみてみましょう。
昭和59年(1984)4月24日、夫の霧島昇が胃がんのため亡くなりました。
そのころ、病気のため他の病院に入院していた松原は、霧島の入院先に駆けつけ、「パパおいていかないで。私も連れてって!」と泣きじゃくって遺体に取りすがったといいます。
そして病を押して夫の葬儀を執り行った松原は、四十九日の法要を終えた一週間後の6月19日に、夫の後を追うように亡くなったのです。
姉さん女房だった松原が、極度のあがり症で口数も少なかったという夫・霧島昇を見事に支えて、生涯を通じて自他ともに認めるおしどり夫婦でした。
まさに「花も嵐も 踏み越えて」で、二人の大ヒット曲「旅の夜風」(作詞:西條八十)の歌詞そのものといえるでしょう。
授かり婚だったとも言いますが、二人がよくプライベートでもデュエットしていたという「一杯のコーヒーから」を聞いていると、二人の幸せな結婚生活が今に伝わって来るようです。
(この文章は、『昭和歌謡100名曲』塩澤実信(プレーン、2014)、Webサイト『私の昭和史 第2部』昭和ロマン館 館長・根本圭助および『日本女性人名辞典』を参考に執筆しました。)
きのう(6月18日)
明日(6月20日)
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