川瀬巴水の生涯
川瀬巴水、本名川瀬文次郎は、明治16年(1883)に東京市芝区露月町、現在の港区新橋5丁目に生まれました。
洋画家の岡田三郎助洋画を学んだあと、美人画や肖像画で名高い鏑木清方に入門します。
大正7年に処女作『塩原三部作』を発表し、ここから新版画の制作をはじめました。
大正12年には関東大震災で家財や写生帖を失い、失意のどん底へと落ちます。
しかし、そこから復帰を果たしてからは、日本全国を旅して各地の風景を写生し、詩情豊かな作品を次々と発表しました。
作品は海外でも高く評価されるようになり、葛飾北斎や歌川広重らと並び称されるほどになっていきます。
昭和32年に74年の生涯を終えました。
巴水と浅草橋・柳橋
巴水は、関東大震災後の大正15年(1926)秋ころから昭和2年(1927)夏ごろまで、浅草区茅町二丁目12番地、現在の台東区柳橋1丁目20番地の北東部で暮らしました。
この時期は、写生旅行を重ねつつ、巴水独自の作風を確立させていく重要な時期にあたっています。
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