忍祭 百年の歴史を受け継ぐ忍岡高校の文化祭

忍祭ってどんなお祭り?

「忍祭(しのぶさい)」は東京都立忍岡高等学校(東京都台東区浅草橋5-1-24)の文化祭です。

毎年9月上旬に二日間開催し、後の一日が一般公開日となっています。

今回は2019年の忍祭に行ってきましたので、その様子をレポートします。長くなりますがぜひご覧ください。

忍岡高校の正門の画像。
【忍岡高校の正門。テントの奥に大イチョウが見えます。】
2019忍祭のゲートの画像。
【2019忍祭のゲートはクレヨンみたいでかわいいです。】

東京都立忍岡高等学校ってどんな学校?

東京都立忍岡高等学校は、明治36年(1903)設立の私立日本女子美術学校と帝都家政女学校の流れをくむ歴史ある学校です。

もともと設立時は芝公園弥生館内に置かれましたが、その後本郷区千駄木、下谷区谷中初音町、下谷区池之端茅町二丁目と移転して、現在の校地である浅草区浅草向柳原二丁目に昭和15年(1940)移ってきました。

そして忍岡高等学校の校名は、不忍池にほど近かった池之端時代に命名された東京市立忍岡高等学校から引き継いだものです。

忍祭名物の入り口大看板の画像。
【忍祭名物の入り口大看板】
校舎入り口の飾りつけの画像。
【校舎入り口の飾りつけ】

さらに、東京市立帝都家政学校(東京都立上野忍岡高等学校)と平成18年(2006)に統合したので、この流れをくむ東京23区内で唯一の家庭科の専門学科である生活科学科が設置されているのです。

学校独自の教科「日本舞踊」「バレエ」「華道」「和太鼓」「演劇」などがあり、特色のある教育で知られています。

大変特徴のある学校なので、行内の雰囲気も独特です。生活科学科に女生徒が多いこともあって、校内は華やかな雰囲気の女性が多く見られました。

公社内の飾りつけ画像。
【校舎内の飾りつけ。いつもの教室が楽しいお店に変わります。】
忍祭アトラクション(ストラックアウト)画像。
【生徒さんたちが手作りした楽しいアトラクションが盛りだくさんです。
写真はストラックアウト。みなさんと手も親切でした。】

忍祭はどんな様子?

校内には教室を利用した各クラスやクラブで工夫したテナントが並んでいます。

縁日やお化け屋敷、喫茶などの定番や、百人一首やスイカ割りといった独自の工夫が光るテナントが目を引きました。

また、生活科学科の生徒作品が並ぶブースでは、かわいい作品や手間をかけた力作が並び、学校の特色が出ていて とても見ごたえがありました。

生活科学科の服飾コースの生徒さんたちの作品の画像。
【生活科学科の服飾コースの生徒さんたちの作品。】
生活科学科の保育コース生徒さんの作品の画像
【生活科学科の保育コース生徒さんの作品。奥に見えるドレス二着は、生徒さんの卒業制作作品、どれも見ごたえがあります。】

ステージでは吹奏楽や和太鼓、演劇やダンスなどの発表のほか、生活科学科のファッションショーが開かれるのが大きな特徴となっています。

蓬莱園とはどんなところ?

また、校地は肥前平戸藩松浦家の上屋敷跡で、屋敷内に造られた庭園・蓬莱園に関連する遺構を見ることができます。

平戸藩上屋敷は、忍岡高校、柳北公園、柳北スポーツプラザ(旧柳北小学校)などが所在する町の一街区全体に広がっていました。

蓬莱園の遺構の池や灯篭と大イチョウの画像
蓬莱園の遺構の池や灯篭と大イチョウ

平戸藩上屋敷は、寛永9年(1632)に幕府からこの地を与えられた松浦家が別邸を造営したことに由来します。

この別邸には小堀遠州作庭の回遊式庭園があり、これを改築して「蓬莱園」と命名しました。

蓬莱園は鳥越川から水を引き、中心に大池、周囲に築山を配し、多くの樹木や東屋、灯篭を配した名園として広く知られる存在だったのです。

しかし、関東大震災で被災荒廃して廃園となり、跡地は学校などに転用されています。

大イチョウと碑の画像。
【大イチョウと碑。いつもは見ることができません。】

現在でも忍岡高校敷地内に大イチョウ(東京都天然記念物)と池の一部が残されています。

そして通常は学校の門越しにしか見ることができない蓬莱園の遺構をまじかに見るチャンスでもあるのです。

大イチョウと受付テントの画像。
【大イチョウも学生生活にすっかり溶け込んで、生徒たちの学園生活を見守っています。】
忍祭の片づけ画像。
【忍祭が終わるとすぐに みんなで片付けです。】

忍祭は、歴史ある忍岡高校と地域が交流する貴重な機会となっています。

みなさんも一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

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