前回では浅草で酉の市が行われ始めた頃をみてきました。
それは、参詣客が多いというのが主な理由で、この時はまだ浅草と酉の市の関係性は深くなかったのです。
しかし現代では、錦絵や文学の題材になるほど、浅草と酉の市は切っても切れない深いつながりがあるのは、みなさんご存じのところ。
今見るような酉の市はいつごろ、どのようにして生まれたのでしょうか?
そこで今回は、酉の市が進化する歴史をたどってみましょう。
【浅草 酉の市 目次】その1:浅草に酉の市が来るまで ・ その2:浅草に酉の市がやってきた! ・ その3:浅草 酉の市とは? ・ その4:酉の市参拝記① ・ その5:酉の市参拝記② ・ その6:酉の市参拝記③ ・ その7:酉の市参拝記④
文学の中の酉の市
「知らずや霜月 酉の日例の神社に欲深様のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ」
「此年三の酉まで有りて中一日はつぶれしかど前後の上天氣に大鳥神社の賑ひすさまじく此處をかこつけた檢査場の門より乱れ入る若人達の勢ひとては、天柱だけ、地維かくるかと思はるゝ笑ひ聲のどよめき、中之町の通りは俄かに方角の替りやうに思はれて、・・・」【樋口一葉「たけくらべ」青空文庫(前後を省略しました)】
浅草酉の市と言えば樋口一葉「たけくらべ」と連想する方も多いのではないでしょうか。
五千円札にもなっている樋口一葉は女流作家の草分けであり、日本を代表する作家のひとりであるのはみなさんご存じのとおりです。
その代表作「たけくらべ」のなかで、酉の市の日は特別な意味を持って描かれているのです。
このように、酉の市は江戸の冬を代表する光景となり、多くの文学作品に描かれました。
浅草の酉の市が登場する文学作品は、前述の樋口一葉『たけくらべ』(明治29年)をはじめ、広津柳浪『今戸心中』(明治29年)、正岡子規『熊手と提燈』(明治32年)などがあげられます。
そしてまた、浮世絵においても歌川広重「名所江戸百景 浅草田圃 酉の町詣」をはじめとして、多くの作品が生まれました。
今日ではテレビで取り上げられることも多く、すっかり東京の秋の終わりを代表する行事になったといえるでしょう。
いよいよ年の暮れだと実感する方が多い、季節の変わり目を象徴する行事として大切にされているのです。
現在でも、地域のお店や会社の奥に酉の市で求めた縁起物の熊手が飾られることが少なくありません。
そこで、地元の方にお話を伺うと、商売繁盛や開運を願うのはもちろんですが、ほかの意味合いもあるようです。
酉の市の熊手に込めた想い
例えば、酉の市に去年の熊手を持って行き感謝の心を込めて納め、また昨年と同じ熊手を求めることができる幸せを語る人に少なからずお出会いしました。
また、去年より一回り大きな熊手を求める時に会社の成長を実感して嬉しかった思い出を語る方、酉の市に社員さんと出かけて楽しい思い出ができたという方など、いろいろな思い出を聞くことができたのです。
酉の市って、みなさんがとても大切にしている行事なんですね。
みなさんもぜひ、江戸以来の伝統行事、浅草 鷲神社の酉の市へ出かけてみて下さい。
樋口一葉が描いた、悲しくも美しい世界が広がっているかもしれませんよ。
この文章をまとめるにあたって 以下の文献を参考にしました。
また、文中では敬称を省略させていただきました。
『日本風俗史事典』日本風俗史学会編(弘文堂、1979)、
『江戸学事典』西山松之助・南和男ほか編(弘文堂、1984)、
『江戸東京学事典』小木新造・陣内秀信ほか編(三省堂、1987)
【浅草 酉の市 目次】その1:浅草に酉の市が来るまで ・ その2:浅草に酉の市がやってきた! ・ その3:浅草 酉の市とは? ・ その4:酉の市参拝記① ・ その5:酉の市参拝記② ・ その6:酉の市参拝記③ ・ その7:酉の市参拝記④
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