「羽根突きって何ですか?」
外国人旅行客の方にこう訊かれて、ちょっと困ってしまいました。
というのも、私は娘と幼稚園時に二度ほどしたことがあるだけ。
ですので、その由来や歴史を説明することは、当然ながらできません。
この経験から、羽根突きについて調べてみたところ、知っているようで知らなかった事柄が山盛りだったのです。
そこで、今回はこの成果を、かいつまんでご紹介したいと思います。
【浅草羽子板市 目次】 その1:羽子板市の歴史(前編) / その2:羽子板市の歴史(中編) / その3:羽子板市の歴史(後編) / その4:羽根突きしたことありますか? / その5:羽子板ってなに?(後編) / その6:羽子板市に行ってみました① / その7:羽子板市に行ってみました② / その8:ガサ市に行ってみました
羽根突きとはどんなもの?
羽根突きしたことありますか?
昔、お正月にしたことあるという方もおられるかもしれませんが、案外やったこと無い方が多いのでは、と思います。
そこで羽根突きとは何なのか、見てみましょう。
羽根突きとは羽根を羽子板で突く遊びで、おもに正月に楽しまれていました。
言い換えるならば、ムクロジの種に羽を3~5枚差し込んだ羽根を、羽子板で打つ遊びなのです。
そして羽根突きには、二人で対戦して打ち合う<追羽根>と、一人で数多く突く<突羽根>あるいは<揚羽根子>の二種の競技スタイルがあります。
追羽根の勝った者が負けた者の顔に墨でいたずら書きをする光景を、ドラマやまんがなどで見たことがある方も多いと思います。
また、揚げ羽根の女の子が一人で数え歌を口ずさみながら突く映像を、どこかで目にした方も多いのではないでしょうか。
羽根突きの歴史
このように江戸時代以降、のどかな正月の遊びとして楽しまれてきた羽根突きですが、じつは古代に行われた 一年の吉凶や豊凶作を占うために行われた、石打ちの年占行事に由来するとの説が有力です。
さらに、室町時代には追羽根スタイルの競技が公家で流行し、その後江戸時代に入って庶民の間にも広がっていったのでした。
また、突羽根スタイルは、庶民に広まる中で誕生したと考えられています。
その後、羽子板が羽根を打ち返すことにかけて、悪事や邪気を打ち返して追い払う、という意味が付加されて羽子板が縁起物とされ、部屋に飾って使われる機会が多くなっていきます。
飾り羽子板については別稿がありますので、こちらをご覧ください。(「飾り羽子板ってどう使うの?」参照)
羽根突きは難しい?
最初に述べたように、私もかつて、娘の幼稚園で羽根突きをやってみたことがありました。
これが案外難しく、なかなか羽根が思った方向に飛んでくれません。
羽根が羽子板にクリーンヒットして美しい放物線を描いたときには気分がスカッと晴れたのを思い出します。
今日ではなかなかする機会もなくなった羽根突きですが、対戦すれば白熱すること間違いなしです。
みなさんも、ぜひ一度体験してみてください。
この文章をまとめるにあたって 以下の文献を参考にしました。
また、文中では敬称を略させていただいております。
参考文献:三谷一馬『江戸職人図聚』1984立風書房、西山松之助・南和男ほか編『江戸学事典』1984弘文堂、小木新造・陣内秀信ほか編『江戸東京学事典』1987三省堂、渡辺信一郎『江戸の生業事典』1997東京堂出版、『日本史事典 三訂版』2000 旺文社、三谷一馬『新編江戸見世屋図聚』2015
【浅草羽子板市 目次】 その1:羽子板市の歴史(前編) / その2:羽子板市の歴史(中編) / その3:羽子板市の歴史(後編) / その4:羽根突きしたことありますか? / その5:飾り羽子板ってどう使うの?(後編) / その6:羽子板市に行ってみました① / その7:羽子板市に行ってみました② / その8:ガサ市に行ってみました
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