花火の日
5月28日は、享保18年(1733)に隅田川で川開きの際に花火が打ち上げられたことにちなんで花火の日に制定されました。
今や世界一と言われる日本の花火、その進化の道のりをたどってみましょう。
日本の花火のはじまり
花火とは、黒色火薬に発色剤を混ぜて筒に詰めたり、玉形にしたものに点火して破裂燃焼させて、音や色、爆音などを楽しむものです。
この花火が日本に伝わったのは、戦国時代で、主に通信用に使われていたと考えられています。
その後、観賞用の花火を日本で最初に楽しんだのは徳川家康でした。
『駿府記』によると、慶長18年(1613)8月6日に明国商人がイギリス人を案内して駿府を訪問した際に、家康とともに花火を観たことが記録されています。
この後、家康の鉄砲組が花火製造に着手して駿府や三河で花火作りが始まりました。
江戸の花火
まもなく花火は、大名家が藩邸などで楽しむために江戸へと持ち込まれます。
これが瞬く間に江戸市中に広がって、花火売りが撚、線香、流星、鼠などの花火を売り歩くようになります。
しかし幕府は、市中での花火は火事の原因になるとことから、たびたび禁止していましたが、江戸っ子の花火熱は消えることはなく、ついに幕府も承応元年(1652)に町中での花火は全面的に禁止するものの、大川端(隅田川沿い)では許可したのです。
鍵屋登場
一方、江戸っ子たちの人気に支えられて花火は進化しました。
万治2年(1659)大和国篠原村(現奈良県吉野郡大塔村)から江戸に来た弥兵衛は、葦の管に火薬を詰めて、燃焼時に星(火花)が飛び出す花火の開発、これが大成功して鍵屋を作りました。
ちなみに、弥兵衛の開発した花火が現在の玩具花火(手持ち花火)の祖型となっています。
先ほど見たように、承応元年(1652)に花火が幕府から公認されたことで、元禄期から享保期まで、江戸の花火は隅田川を中心としておおいに発展します。
夏の納涼時期には隅田川で客寄せのために茶屋花火が行われ、花火船が船遊びを楽しむ客の求めに応じて花火を見せて代金を取るようになりました。
花火は次第に華やかさを増していくものの、まだ木炭・硫黄・硝石を使った小規模なもので、線香・流星・鼠・蝶・火車などの「立花火」と呼ばれるものが主流でした。
打ち上げ花火の誕生
そして打ち上げ花火が登場するのは享保18年(1733)、鍵屋によって行われた両国の大花が最初と言われています。
これは、夏に流行しやすい疫病の退散と犠牲者の供養、厄災を払う目的で、両国の水神祭の折に花火を上げたことが、川開きで花火を上げる年中行事に発展していきました。
ちなみに、最初の川開きで七代目鍵屋が打ち上げた花火は20発ほどと言われています。
玉屋登場
その後も、打ち上げ花火が登場する頃には花火の原料にも次々と改良がなされました。
そんな中、文化7年(1810)には八代目鍵屋手代清七が分家して玉屋市兵衛を名乗ります。
こうして両国横山町(現在の東京都中央区日本橋横山町)の鍵屋と、両国吉川町(同 東日本橋二丁目)の玉屋が両国の花火を担当して競い合うようになり、江戸っ子たちから大好評を得るようになりました。
これこそが、現在も残る花火の掛け声「玉屋、鍵屋」の由来です。
しかし、玉屋が天保14年(1843)10月14日に出火類焼を起こして江戸からの追放処分を受けて断絶し、鍵屋単独での両国花火に戻ってしまいました。
その後、両国の花火は第二次世界大戦と隅田川の河川環境の変化での中断(昭和37年(1962)~52年(1977))があったものの、隅田川花火大会と名称を変えて、毎年7月の最終土曜日に開催される地域の一大イベントとなっています。
花火のさらなる進化
両国川開きに触発されて大川(隅田川)沿いに屋敷を持つ大名たちも、家臣の砲術家や花火師に作らせた花火を屋敷で上げるようになったのをきっかけに、日本各地で花火製造が盛んに行われるようになっていきます。
時代は変わり、明治維新と廃藩によってお抱えの花火師たちが大名のもとを離れて独立することで、全国各地に多くの花火製造者が誕生しました。
また、明治元年(1868)には塩素カリウムの導入によって科学的調合が進んで多種多様な花火を生み出すことが可能となったのです。
こうして全国各地の花火師たちは、独自の調合によって色調や花火の大きさなどを決めて 工夫を凝らし、花火の美しさを競うようになりました。
その後も、打ち上げにコンピューターを導入し、光と音の演出を工夫するなどして、花火は現在も進化を続け、今や日本各地で夏の風物詩として欠かせないものになりました。
こうして、職人たちの熱い思いで独自の進化を遂げた日本の花火は、多種多様さや美しさが高い評価を受けて、世界に輸出されるまでになったのです。
みなさんも夜空に広がる大輪の華を見ながら、花火にかけた人々の情熱に思いをはせてみませんか?
(この文章は、『日本風俗史事典』『国史大辞典』『日本史大辞典』『日本風俗史事典』『日本民俗学大辞典』『江戸東京学事典』『江戸学事典』の関連項目を参考に執筆しました。)
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きのう(5月27日)
明日(5月29日)
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