豊竹屋 愛すべき「ばかばかしさの極致」

鳥蔵柳浅の古典落語を歩く、今回は「豊竹屋(とよたけや)」。

珍し音曲噺の「とよたけや」、あらすじはと申しますと、

下手の横好きで義太夫に凝っている豊竹屋節竹節右衛門という男が居りまして、なんでも見聞きしたものを すぐに節をつけて、でたらめな義太夫にしてしまうので、かみさんはえらく迷惑しています。

朝起きて一節、あくびに節をつけたかと思うと「寺子屋」の一節、いつの間にか「野崎村」から「太功記」に代わり、しまいにはわけの分からなないものをうなっています。

湯屋に行ってはうなり過ぎて湯にのぼせ、飯でもうなって興奮した挙句にお膳をひっくり返す騒ぎを起こす始末。

そこに妙な男が訪ねて来ます。

変な節をつけながら男が言うには、浅草三筋町三味線堀に住む花林胴八(かりんどうはち)、でたらめな口三味線を弾くのが何より好きだという義太夫狂、節右衛門の噂を聞いて手合わせを願い訪ねてきたとのこと。

おかみさんが頭を抱える中、三味線とはちょうどいいと大喜びの節衛門。

さっそく二人の「競演」が始まりました。

隣のばあさんが洗濯する音が聞こえると、早速節右衛門が義太夫風にうなって実況開始、負けずに胴八が口三味線で応えます。

年の暮れの酒屋の払い、子供の服を親が着て、と。

次第に駄洒落や謎かけが加わって、二人の競演は最高潮に達します。

そこに現れた三匹のネズミ、節右衛門お家に住むだけあって、こちらも義太夫よろしく節をつけて鳴きかわします。

それを見た胴八が一言、でサゲです。

歌川国安『三味線を持つ芸妓』文政頃の画像。
【歌川国安『三味線を持つ芸妓』文政頃】

この噺は珍しい音曲噺に分類されています。

確かに義太夫炸裂の音曲噺ですが、内容はもう落語特有の愛すべき残念な人(豊竹屋 節右衛門と花林 胴八の二人)が出てくる かなりばかばかしい噺です。

もとは上方の噺を江戸に移したもので、設定はおおまか、時代も江戸後期から明治までいつでもありそうな内容。

元の上方では古い噺で天保年間には口演されていました。江戸に移された時期は不明。

メインとなる義太夫部分は口演者の腕の見せ所、時代に合わせて変化していきます。

なので使われなくなる部分も出てくるわけで、例えば「♪隣の爺さん~抱き火鉢ぃ~~ たどん、たどん」は分からないからと代えられます。

一方で桂文珍は、昼飯をうどんにするか、ラーメンかそれともスパゲッティか というくだりをつけていました。

演題は、豊竹越前少掾(1681~1764)が享保4年(1731)に創始した浄瑠璃の一派、豊竹派をもじったものです。

節右衛門も義太夫を思わせるネーミング、花林胴八の花林は三味線の原料(胴部分)で胴八(胴部分の大きさ)も義太夫に使う三味線の形から。

東京都台東区三筋の画像。
【東京都台東区三筋一丁目を南北に走る通りを南から望む。
三筋の名は、南北に三本の通りがあったことに由来します。かつては職人の工房が軒を連ねた三筋の町ですが、最近はマンションが増えています。】

当然、浅草三筋町も三味線堀も、三味線つながりで選ばれた地名と思われます。

浅草三筋町は現存しますが、三味線堀は隣の小島町と佐竹の境に位置しており、300mほど西にずれています。

この噺、節右衛門と胴八のセッションが盛り上がると、義太夫と三味線の音が入り混じって一種のカオスが出現します。

ばかばかしさの極致、古典落語の「豊竹屋」、ぜひ高座でご覧ください。

次回は古典落語「豊竹屋」花林胴八ゆかりの三筋、三味線堀界隈を歩きます。

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