前回みたように、東宮侍従を務めるかたわら、長育は華族同方会を中心に積極的に活動して、華族とは何か、華族はどうあるべきかを盛んに主張していました。
そこで今回は、長育の華族論の中身をみてみましょう。
長育の華族論
それでは、小笠原長育の「華族」とはどういったものだったのでしょうか。
長育が『華族同方会報告』に2回にわたって連載した「明治今日の華族」からみてみましょう。
まずこの論考は、「華族同方会将来の方針に関する建議」」と題して講演したところ(『華族同方会報告』第二年(3))、好評だったので、さらに掘り下げて自説を記したものでした。
まずはじめに、長育は、華族がその由来に基づいて三つに区別されがちである風潮に反論しています。
これは、古くからの貴族や大寺社に由来を持つ公卿華族、明治維新前後の勲功によって叙爵された新興華族、そして大名家に由来する大名華族の三つのこと。
またいっぽうでは、公卿華族と大名華族をまとめて旧華族とも呼んでいました。
そして、大名華族を由来のはっきりしない不当なものとする見方に反論していきます。
版籍奉還の歴史的意義
たしかに、公卿華族は長い歴史によって、新興華族がその人の勲功によって華族の栄に浴しているのはわかりやすいかもしれません。
これに対して、大名華族は、自らの持つ封建的権利、つまり領地と領民を、無償で天皇に返上した事実によって華族となっているとしました。
そして、領主が特権を放棄する際、欧米では流血の惨事を経ざるを得なかったのに対して、日本の大名はさしたるい抵抗もなく献納したことを強調しています。
「天皇陛下には三百諸侯の潔さ快き忠愛至誠の働きに報ゆるに更に華族なる崇高の階級を設けて其族位に座列せしめたり」と、華族制度はもともと大名家に与えるためにできたとまで言っているのです。
世界無比の皇室
こうして前半で華族の区別を無意味とした長育は、後半で華族の責務について考察していきます。
まずここで注目すべきは、「我が日本の明治今日の華族なるものに、一種特種な性質を以て始めて明治今日の聖世に誕生したもの」で、「版籍奉還の美挙は実は世界無比の奇況を現顯したるものにして我が帝国特に我が皇室の世界無比なる尊栄を表たるもの」としていることです。
版籍奉還が無血でなされた偉業であると称賛するだけでなく、この偉業をなしとげた皇室こそが比類ない偉大なものであると考えを発展させているのです。
恩寵と推尊
このように、皇室は世界無比の尊いものであるから、「苟しくも明治今日の華族たるものハ其上の恩寵と下の推尊とを思うて之に報ゆる働きなかる可からず。」と、皇室と民の両方につくす必要を説いています。
さらに、「若しこれ其恩寵を蒙り其推尊を享くる原因を知らずに徒に貴族たり華族たるの門地に誇るが如き人あらバ是れ即ち盗賊の人なり、倫爵的の犯罪人たるを免れず」とまで言っているのです。
華族の責務
こうしてみると、長育は華族にふさわしい行為として、皇室の恩に報いることと民の尊敬を得る行動をとることの二つが必要不可欠だといいたいのでしょう。
とくに、民からの目線に注目していることや、先にみた版籍奉還の歴史的意義をみごとに論じた部分には、長育の高い教養と深い知識を感じずにはおれません。
長育論文の背景
またこの論説の背景として、貴族院開設を目前に控えて、だれが議員となるかをめぐって、旧華族と新興華族が激しく対立していたことが挙げられます。
長育の論を読むと、華族内で構想している場合ではないことは明白ですので、この対立を緩和することが隠れた狙いではないでしょうか。
いずれにせよ、長育はこの内容を講演して大好評を得たようで、華族同方会内部でも一目置かれる存在となったことは容易に想像できるところです。
じつは、華族自身が講演することは、国会における重要な活動の一つである演説の訓練にもなっていましたので、長育は貴族院での活躍が大いに期待されていたとみてよいでしょう。
ここまで見てわかるように、長育の論の基礎となっているのは、福沢諭吉の華族論であることは明白です。
おそらくこれは、慶應義塾在学中に福沢に感化された結果とみてよいでしょう。
しかし長育はその後、福沢の論を基にしつつ、これとは全く方向の違う独自の考えを持つにいたるのです。
次回は、長育の活動の転換点となった貴族院設立の前後をみてみましょう。
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