走りやんこ【勝山藩小笠原家編(福井県)㊶】

前回まで旧越前国勝山藩主小笠原子爵家についてみてきました。

ところで、勝山で暮らす人たちは、藩政時代の遺産をどのように継承しているのでしょうか?

その実例を、「走りやんこ」でみてみましょう。

「走りやんこ」とは

走りやんことは、地元有志で組織する消防団のメンバーが、チームに分かれてリレーで「七里崖」を駆け上る民俗行事で、昭和56年(1981)に勝山市から市文化財に指定されました。

この行事は、勝山の町を守ってきた町火消しが期限になっている行事ですので、まずはその歴史からみてみましょう。

勝山と火災

勝山は山深い豪雪地帯で、また名だたる暴れ川の九頭竜川による水害が多発することで知られています.

そのいっぽうで、周囲を囲む高い山々を超えてくる風がフェーン現象を起こして、極度な高温乾燥状態を作り出すことがあります。

このことから、江戸時代の初めに九頭竜川に沿って袋田町・郡町・後町の三町ができて以来、火災に悩まされてきました。

勝山の火災

そこで、勝山藩の歴史から関連する記事を拾ってみましょう。

元禄8年(1695)大暴風で被害を受ける。

元禄11年(1698)三町消防組が設立される。

正徳4年(1715)後町より出火、180軒が焼失。

延享3年(1746)町内大火、458戸焼失する。

寛延2年(1749)町火消組を拡大し、村々にも火消人数割を実施する。

宝暦4年(1754)町火消組、竜吐水を購入する。

安永9年(1780)竜谷村大火。

安永10年(1781)町内大火、民家582軒、侍屋敷89軒などを焼失。

天明2年(1782)三町火消、鳶組・梯子組・水竜組・羽織組などを結成する。

寛政11年(1799)町内大火、民家283軒など焼失。

文化元年(1804)後町が大火に襲われる。

文政5年(1822)勝山城内から出火、城のほとんどが焼失する。

天保13年(1842)長渕町大火に襲われる。

弘化2年(1845)町方火消組が五組となる。

嘉永元年(1848)長山に講武台の建設工事始まる。

安政2年(1855)長山講武台が完成する。

明治29年(1896)立石の民家から出火し、勝山全町を焼失、飛火が滝波・新保まで及ぶ。死者4名、民家1,120戸と警察署・郵便局・寺院17軒を焼失する大災害となる。

なお、この大火で、勝山の基幹産業であった製糸業が、主要工場の焼失により大打撃を受けて、その後二度と立ち直ることができませんでした。

長山運動公園(勝山市Webサイトより) の画像。
【長山運動公園(勝山市Webサイトより) 】

林毛川と火消組

このように、勝山町では度々大火が起こり、そのたびに消火能力を向上させる努力がなされてきたのです。

その中でも画期となるのが、林毛川の藩政改革でした。

ところで、毛川は藩政改革の一環として藩校・成器堂の開設や長山講武台の建設を行ったのを覚えておられるでしょうか。

このうち、講武台建設には勝山の町方から強制的に人足を挑発して7年にわたって工事を強行したのですが、その時に活用したのが町方火消組の五組でした。

毛川は、この消防組(飛組とよばれた町廻り番)を青・赤・黄・白・黒も五色に編成して、昼夜総動員により工事を完成したと伝えられています。

そして講武台が完成すると、勝山の防備力は大幅に向上し、幕末の激動期を支えたのは前にみたところです。(第25回「長山講武台建設と藩政改革のゆくえ」)

この偉業を後世に伝えるため、毎年4月13日に実施する春季消防訓練で、消防組員、現在の消防団員の士気高揚と体力練成を兼ねて、纏リレーを行っているとのことでした。

勝山、平成26年撮影空中写真(国土地理院Webサイトより、CCB20142-C13B-18〔部分〕) の画像。
【勝山市中心部、平成26年撮影空中写真(国土地理院Webサイトより、CCB20142-C13B-18〔部分〕)画面中央が勝山城址、画面右上が長山講武台跡(現在の運動公園 )】

「走りやんこ」のコース

纏リレーのコースは二つあり、隔年毎に代わる仕組みです。

一つ目のコースは、栄町4丁目の茶所橋から長山公園まで、もう一つは本町3丁目の上後区左義長櫓会館前から長山公園までの、いずれも15区間2.6㎞。

ちなみに、現在の消防団の編成は12個分団となっていますので、当時の五色に茶色を加えた6色のチームに編成したうえで、2回に分けて実施しています。

纏は、重さは2.75kg、長さ1.5mで、これを抱えて全力疾走するわけですが、途中で纏を放り上げてつなぐ場所などもあるそうです。

長靴にヘルメット・消防団の活動服といういでたちで、街中を駆け回る消防団員たちに、沿道の市民からは歓声が上がるとのこと。

消防団員は地域住民有志が参加する組織ですから、参加者は地元のお父さんたちが「火消の心意気」そのままに真剣勝負する姿をまじかにみられるのって素晴らしいですよね。

ちなみに、この「走りやんこ」は、現在大人気となっている駅伝の原点ともいわれていて、勝山に春を告げる風物詩として大切に守られています。

「走りやんこ」、楽しみながら歴史と伝統を受け継ぐとは、最高ではありませんか。

恐竜だけではない勝山、新たな魅力を知って、ぜひ行ってみたいと思うのでした。

(今回の内容は、『日本地名大事典』および福井県勝山市Webサイト、勝山城博物館Webサイトの情報をもとに記しました。)

この文章を作成するにあたって、以下の文献を引用・参考にしました。

また、文中では敬称を略させていただいております。

引用文献など:

『太政官日誌 第百六十 明治紀元戊辰冬十二月』太政官、1868

『朝日新聞』明治19年(1886)11月18日付大阪版朝刊

『読売新聞』明治20年(1887)2月6・8・9日付朝刊

『朝日新聞』明治22年(1889)11月8日付東京版朝刊

『朝日新聞』明治22年(1889)7月16日付東京版朝刊

『朝日新聞』明治22年(1889)11月6日付東京版朝刊

「華族同方会将来の方針に関する建議」『華族同方会報告』第二年(3)1889

「明治今日の華族(前篇)」小笠原長育『華族同方会報告』第二年(8)1889

「明治今日の華族(後篇)」小笠原長育『華族同方会報告』第二年(9)1889

「貴族概論」日野資秀/「貴族概論 附言」小笠原長育『華族同方会報告』第二年(4)・(5)・(6)1889

『読売新聞』明治23年(1890)4月24・25日付朝刊

『軍備要論』曾我祐準(小笠原長育、1890)

『朝日新聞』明治24年(1891)7月29日付東京版朝刊

『読売新聞』明治24年(1891)12月17日付朝刊

『読売新聞』明治24年(1891)12月27日付朝刊

『朝日新聞』明治28年(1895)1月3日付東京版朝刊

『躬行会雑誌 第7号』福岡秀猪(躬行会幹事)編集・発行1899

『越前人物志 上』福田源三郎(玉雪堂、1910)

『華族名簿 大正5年3月31日調』華族会館、1916

『読売新聞』大正5年(1916)4月25日付婦人付録「新郎新婦」

『朝日新聞』大正5年(1916)9月5日付東京版朝刊

『人事興信録 5版』人事興信所編(人事興信所、1918)

『東京外国語学校一覧 従大正7年至8年』東京外国語学校 編集・発行、1918

『福井県史 第二冊 第二編 藩政時代』福井県 編集・発行1922

『福井県史蹟勝地調査報告 第二冊』上田三平(福井県内務部、1922)

『人事興信録 7版』人事興信所編(人事興信所、1925)

『林毛川』福井県大野郡勝山町教育会、1925)

『朝日新聞』東京版朝刊大正14年(1925)12月1日

『越前及若狭地方の史蹟』上田三平(三秀舎、1933)

『華族家庭録 昭和11年12月調』華族会館 編集・発行1937

『新修日本橋区史』下巻Ⅱ、東京市日本橋区役所 編集・発行1937

『人事興信録 第13版下』人事興信所 編集・発行1941

『人事興信録 第14版下』人事興信所 編集・発行1943

『人事興信録 第15版下』人事興信所 編集・発行1948

『議会制度七十年史 第1 貴族院議員名鑑』衆議院・参議院編(大蔵省印刷局(印刷)、1960

『明治過去帳』大植四郎 編(東京美術、1935、新訂版1971)

『大正過去帳』稲村徹元 編(東京美術、1973)

「勝山藩」本川幹男『新編 物語藩史』第六巻、児玉幸多・北島正元 監修(新人物往来社、1976)

「越前国勝山藩領元禄十年一揆」「越前国勝山藩領明和八年一揆」「」「小笠原氏」「小笠原長基」「小笠原文書」「大野藩」「大野屋」「土井利忠」「若尾逸平」「若尾幾造」「若尾財閥」『国史大辞典』国史大辞典編集委員会(吉川弘文館、1979~1997)

『角川日本地名大事典 21岐阜県』「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内理三 編(角川書店、1980)

「勝山城」河原純之『日本城郭大系』第11巻京都・滋賀・福井、児玉幸多・坪井清足 監修、平井聖・村井益男・村田修三 編修(新人物往来社、1980)

『角川日本地名大辞典 22長野県』「角川地名大辞典」編纂委員会・竹内理三 編(角川書店、1982)

『三百藩藩主人名事典』藩主人名事典編纂委員会(新人物往来社、1986~87)

『三百藩家臣人名事典』家臣人名事典編纂委員会、新人物往来社、1987~89

『角川日本地名大辞典 18福井県』「角川地名大辞典」編纂委員会・竹内理三 編(角川書店、1989)

「初期議会の貴族院と華族」佐々木克『人文學報』67巻、京都大学人文科学研究所1990

『江戸幕藩大名家事典』中巻、小川恭一 編(原書房、1992)

『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館華族家系大成編輯委員会編(㈳霞会館・吉川弘文館、1997)

『福井県の歴史』県史18、隼田嘉彦・白崎昭一郎・松浦義則・木村亮(山川出版社、2000)

「甲州財閥の形成」斎藤康彦/「甲府連隊設置」雨宮昭一「『山梨県史 通史編5 近現代1』山梨県 編集・発行2005

『江戸時代全大名家事典』工藤寛正 編(東京堂出版、2008)

『幕末明治傑物伝』紀田順一郎(平凡社、2010)

「勝山藩」河原哲郎『藩史大事典〔新装版〕』第3巻中部編Ⅰ北陸・甲信越、木村礎・藤野保・村上直 編(雄山閣、2015)

『白山平泉寺 よみがえる宗教都市』勝山市 編(吉川弘文館、2017)

石出みどり「日本史 明治時代の子どもになって遊んでみよう! 絵双六「尚武須護陸」に読み取る歴史」(地理歴史科)『第18回公開教育研究会報告【研究授業】』・『研究紀要 59』お茶の水女子大学附属高等学校2014

小林和夫「大東亜共栄圏構想と国民のアジア語学習 -馬来語の事例-」『社会学評論』69巻3号(通号275)日本社会学会 編2018

福井県勝山市Webサイト、勝山城博物館Webサイト、東京外国語大学Webサイト、

伊藤真希「華族が組織した成人学習の機会」『生涯学習研究e事典』

大濵徹也「「尚武須護陸」に読みとる歴史 明治の小学生が求められた世界」『まなびと 子どもと大人たちへ贈るWebマガジン』3月号2007日本文教出版Webサイト、

参考文献:

『山梨名鑑』浅川奥太郎 編集・発行、1926

『中央区史 上巻・下巻』(東京都中央区役所、1958)、

『中央区年表 明治文化編』(東京都中央区役所、1958)

次回からは、江戸藩邸散歩勝山藩編をお届けします。

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