前回は、高畑勲監督と『柳川堀割物語』を入り口として、柳川の魅力をみてきました。
そこで今回は、柳川とはどういうところなのか、柳川を含む筑後平野の南部にあたる筑南平野について、地理的環境を中心にみてみましょう。
南筑平野
柳川周辺の地形的特徴といえば、まずは真っ平といっていいほど平坦な地形でしょう。
これが福岡県と佐賀県にまたがって広がる九州最大の平野・筑紫平野です。
このうち、東半分の福岡県に属する部分は筑後平野とよばれて区別されています。
この平野は、有明海の湾奥部が筑後川と矢部川の沖積作用と、最大5mを超す大きな干満差によって泥土の逆流したことで埋積して形成されました。
さらに、広大な筑後平野は、久留米付近の狭隘部を境にして北の両筑平野(北野平野、甘木平野)と南の南筑平野(柳川平野)とに分けられています。
この南筑平野のほとんどが、筑後川と矢部川の形成した低湿な複合三角州でできていて、溝渠(クリーク)網が発達する特徴的な景観を作り上げてきました。
また、「水沼之地」に起源する三瀦郡をはじめ、牟田や古賀というように地形に関連する地名も多く残っています。
南筑平野の南縁部では、地名によく「開(ひらき)」という名称が見られますが、これは近世以降に造成された干拓地なのです。
有明海
また、南筑平野の南に広がる有明海は、典型的な内湾で、広大な干潟が広がることで知られています。
有明海沿岸は三池港区の埋め立て岸壁を除いてすべてが干拓堤防となっていて、自然海岸は残っていません。
前述のように干満差が5mを超える有明海は、日本最大の干満差を誇るとともに、最大幅4kmという広大な干潟が広がっています。
この干潟では、ムツゴロウやシオマネキなど、豊かな生態系が残っているのをご存じの方も多いのではないでしょうか。
干潟でムツゴロウのかけ釣り漁と潟スキーとよばれるはね板は、有明海の風物詩となっています。
また有明海は、カキ、アサリ、アゲマキなどの貝類の水揚げが多く、ノリの養殖が盛んです。
耳納山地と筑肥山地
視点を変えて、今度は南筑平野を縁取る山々をみてみましょう。
南筑平野を作り上げた筑後・矢部両川のうち、矢部川は耳納山地と筑肥山地を水源としています。
耳納山地は屏風山、水縄山地の別名を持ち、最高点は標高802mの鷹取山で、西に向かって次第に低くなっています。
筑肥山地は福岡県と熊本県の境となる山塊で、やはり東に高く、西に低い地勢です。
両山地とも九州を東西に走る構造線の影響を強く受けて、東西方向に走向しています。
そしていずれも浸食がすすんで穏やかな山容となって、交通の障害は大きくはありません。
産業
福岡県南部の筑紫地域は、生産性の高い米をはじめ、イ草、ミカン・ブドウ・カキ・ナシ・キウイといった果物、茶、植木などの商業的農業が発達し、福岡県最大の農業地域となっています。
また、久留米絣、畳表、花筵、清酒、家具、和紙、提灯、仏壇、粘土瓦など雑多な農村の副業に起源をもつ伝統工業が盛んでした。
そのいっぽうで、地域の南端にあたる大牟田市は、三池炭鉱を基盤とする鉱工業都市となって地域を支えてきましたが、炭鉱閉山後は不況が続いています。
筑後人
農業を主とする筑後人には、努力と一徹さの働き者、しっかり者が多いといわれています。
また、粘り強さ、農村の団結心の強さは、古来反乱を繰り返してきた筑後川などの自然との長きにわたる闘いによって育成された気質なのかもしれません。
今回は、柳川とはどういうところなのか、柳川を含む筑後平野南部について、地理的環境を中心にみてきました。
次回は、柳川の歴史をイッキに見てみましょう。
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