前回は、柳川藩下谷御徒町上屋敷跡についてみてきました。
そこで今回は、柳川藩上屋敷跡の西部分にあたる立花伯爵家下谷邸についてみていくことにしましょう。
立花伯爵下谷邸
明治4年(1871)11月に、廃藩置県により上京を命じられた柳川藩最後の藩主・立花寛治は、柳川藩上屋敷を下賜されてここに移ります。
廃藩置県で家臣たちもいなくなりましたので、家臣の長屋がならんでいた藩邸の東半分は立花家の家作に変えられました。
明治5年(1872)には旧藩邸が西町に編入されますが、もともとの西町は、今いる公園周辺でしたので、町域が一気に4倍ほど広がったことになります。
ちなみに、もとの西町は下谷西町とも呼ばれていましたが、往古は姫ヶ池と呼ばれた沼沢地でした。
これを天正18年(1590)に、鳥越村民によって埋め立てられて、水田となったところです。(『角川日本地名大辞典』)
いっぽう、このころには邸宅の主も変わっていきました。
柳川藩最後の藩主・鑑寛は、明治7年(1874)に隠居すると、明治11年(1878)7月に柳川への寄留が許されます。
そこで鑑寛は下谷邸を出て柳川に還り、以後は柳川の「御花」で暮らしました。(第51回「立花鑑寛の柳川帰還」参照)
鑑寛の農園
鑑寛の跡を継いだ寛治は、明治17年(1884)、伯爵を授けられました。
第52回「立花鑑寛の時代」でみたように、鑑寛は農業で報国したいという情熱は強く、学習院を経て津田仙設立の学農社農学校に入学します。
しかし鑑寛は、座学中心の学習内容に不満を抱き、この下谷邸内を改築して農園を開き、みずから耕作していました。
寛治は農園で農事試験を行っていましたが、彼が基本と考える水田をつくるには広さが十分ではなかったことに、強く不満を抱くようになったのです。
そこで、旧領柳川の中山に肥沃で広大な土地を購入し、農事試験場を開設する計画を練っていました。
そこへ、寛治が場長補として勤めていた大日本農会三田種育場が閉鎖となったときに、ついに宮内省から旧領地帰郷の特別許可を得ることに成功、明治19年(1886)頃に柳川に戻ったのです。
立花伯爵家宅地
こうして下谷邸は主を失い、ほどなく邸宅は取り壊されて家作へと変わりました。
その後、道路用地などを除く13,027.09坪という広大な宅地に立花伯爵家が立ち並ぶこととなります。(『東京市及接続郡部地籍台帳』)
関東大震災で町がほぼ焼失したものの立花家が再建、しかし第二次世界大戦の空襲で再び町は焼失してしまいました。
街が再建されていたさなかの昭和21年(1946)3月に家督を継いだ立花和雄は、財産税と相続税を支払うために、西町の土地を手放さざるを得ませんでした。
こうして元禄8年(1695)から続いてきた立花家と下谷・西町との250年余りにわたったつながりは、途切れることになったのです。
さて、そろそろ帰路につきましょう。
西町公園の東側出口を出て南に進み、最初の信号のあるところからが旧柳川藩上屋敷です。
今進んでいる道の一本西側の道、さきほどみた西町太郎稲荷横の道が、おそらく立花伯爵家下谷邸と家作を分ける道ですので、この辺りは伯爵家の家作地あとにあたっています。
次の信号の内交差点を左折して東に200mほど進みと、清洲橋通りに出てきました。
ここまでが旧柳川藩上屋敷、立花伯爵家宅地の東端でもあります。
この清州橋通りを右に折れて南に進むと、元浅草1丁目交差点に到着です。
この交差点の北西角がちょうど上屋敷の南東隅、ここまでで上屋敷跡地はおしまいです。
東西に走る春日通りを渡ると、かつての佐竹家秋田(久保田)藩邸で、その中を南北に佐竹商店街が走っています。
交差点を右の西方向に曲がると、間もなく都営大江戸線 新御徒町駅A1口で、春日通りをそのまま西へと500mほど進むと、スタート地点のJR御徒町駅北口に戻ります。
柳川藩上屋敷跡と立花伯爵家下谷邸は、西町太郎稲荷にその痕跡をとどめるのみ、今はかつての様子をうかがわせるものは残っていません。
しかし歩いてみると、その広大さが実感できたのではないでしょうか。
私としては、この街が立花伯爵家の華麗な歴史を支えたのだと、大いに納得したところです。
ちなみに、元浅草1丁目交差点の南東約300mが柳川藩中屋敷跡となっています。
また、屋敷跡の北西には上野のリトルコリア、JR御徒町東側には御徒町の貴金属店街がありますので、少し足を延ばしてみるのもおすすめです。
この文章を作成するにあたって、以下の文献を引用・参考にしました。
また、文中では敬称を略させていただいております。
『東京市及接続郡部地籍台帳』(東京市区調査会、1912)
『角川日本地名大辞典 13東京都』「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内理三編(角川書店、1978)
「柳河藩」半田隆夫『三百藩主人名辞典』第四巻、藩主人名辞典編纂委員会 編(新人物往来社、1986.10)
「柳河藩」半田隆夫『三百藩家臣人名辞典』第7巻、家臣人名辞典編纂委員会 編(新人物往来社、1989.10)
『江戸幕藩大名家事典』中巻、小川恭一 編(原書房、1992.3.7)
『台東区史 通史編Ⅱ』台東区史編纂専門委員会 編(東京都台東区、2005.1.31)
次回は柳川藩中屋敷跡を歩いてみましょう。
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