新宮水野家深川三好町邸跡を歩く【紀伊国新宮水野家(和歌山県)71】

《最寄り駅:東京メトロ東西線 木場駅》

廃藩置県により上京の命を受けた水野新宮家当主水野忠幹は、一時期市ヶ谷浄瑠璃坂の旧上屋敷に住むものの、まもなく深川三好町2番地に邸宅を新築してうつりました。(『官許貴家一覧 元武家華族之部』雁金屋清吉、1873)

この邸宅があったのは、現在の東京都江東区平野4丁目です。

そこで今回は、新宮水野家の深川三好町邸跡を歩いてみましょう。

なお、この邸宅の正式な名称はわかりませんでしたので、華族邸宅名の通例に従って町名を冠して深川三好町邸と呼ぶことにします。

また、コースは東京メトロ東西線木場駅1番出口を出発・終着とするコースで、全長約2.5㎞です。

新宮水野家深川三好町邸コースマップ 南半の画像。
【新宮水野家深川三好町邸コースマップ 南半】

《グーグルマップは、新宮水野家深川三好町邸跡の木場公園多目的広場を示しています。》

木場公園への道

東京メトロ東西線木場駅1番出口から地上に出ると、目の前を永代通りが東西方向に走っているのが目に飛び込んできました。

ここでは永代通りに背を向けて、北方向へ進みましょう。

通りと一街区はさんで大横川が並行して流れていますので、ビルの合間から川の護岸堤防がみえています。

200mほどで少し広い道に出て視界が開けると、目の前に広大な緑地が目に飛び込んできました。

これが木場公園、現在立っているのは南東部にあるふれあい広場口にあたります。

公園に入ると、目の前には広大な芝生の広場がみえますが、これがふれあい広場です。

この中にはドッグランやカフェの設けられていて、平日にもかかわらず多くの人でにぎわっていました。

ここでまず、木場公園についてみてみましょう。

木場公園

木場公園は、東京都江東区木場4・5丁目と平野4丁目、三好4丁目にまたがって設けられた広大な都市型公園です。

公園は仙台堀川をはさんで南北に広がる面積24.2haの総合公園で、大震災発生時の避難広場としてつくられました。

さらに、昭和天皇陛下在位五十年記念事業の公園でもあります。

この公園があった場所は、かつて材木関連の企業が集まる「木場」の町がありました。

「木場材木堀」(『江戸の今昔』歌川広重ほか(湯島写真場、1932)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【「木場材木堀」『江戸の今昔』歌川広重ほか(湯島写真場、1932)国立国会図書館デジタルコレクション】
木場、昭和38年撮影空中写真(国土地理院Webサイトより、MKT636-C9-25〔部分〕)の画像。
【木場、昭和38年撮影空中写真(国土地理院Webサイトより、MKT636-C9-25〔部分〕) 現在は木場公園となっている木場の町。町のそこここに堀割がめぐらされ、水面がみえなくなるほどの原木が置かれているのがわかります。】

木場の町については第74回「木場の町」で詳しく見ることにして、この木場が「新木場」地区(江東区新木場1~3丁目)に移転したために、その跡地を昭和53~62年度(1978~87)に買収して、北地区から整備を開始しました。

平成4年(1992)6月には東京都立現代美術館と地下鉄工事を行っている以外の区域を開園しています。

公園の整備にあたっては、下町らしさを強調しつつ、安全な防災空地の確保と快適な生活環境をつくることを目指したそうです。

園内には先ほど見たバーベキュー広場やドッグランがあるほか、園の北には東京都現代美術館が設置されています。

また、園の地下には都営地下鉄木場車両検修所という名称の大江戸線車両基地が設けられているといいますから驚きです。

散策に戻って、公園を北上すると、広場や林の向こうに巨大な塔が並んでいるのが目に入ってきました。

木場公園大橋の画像。
【木場公園大橋】

これが木場公園のシンボル、木場公園大橋です。

そこで次回は、木場公園大橋についてみてみましょう。

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