川瀬巴水 【鳥蔵柳浅ギャラリー 目次】

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【川瀬巴水(1939)(Wikipediaよりダウンロード20230402)】

川瀬巴水の生涯

川瀬巴水、本名川瀬文次郎は、明治16年(1883)に東京市芝区露月町、現在の港区新橋5丁目に生まれました。

洋画家の岡田三郎助洋画を学んだあと、美人画や肖像画で名高い鏑木清方に入門します。

大正7年に処女作『塩原三部作』を発表し、ここから新版画の制作をはじめました。

大正12年には関東大震災で家財や写生帖を失い、失意のどん底へと落ちます。

しかし、そこから復帰を果たしてからは、日本全国を旅して各地の風景を写生し、詩情豊かな作品を次々と発表しました。

作品は海外でも高く評価されるようになり、葛飾北斎や歌川広重らと並び称されるほどになっていきます。

昭和32年に74年の生涯を終えました。

巴水と浅草橋・柳橋

巴水は、関東大震災後の大正15年(1926)秋ころから昭和2年(1927)夏ごろまで、浅草区茅町二丁目12番地、現在の台東区柳橋1丁目20番地の北東部で暮らしました。

この時期は、写生旅行を重ねつつ、巴水独自の作風を確立させていく重要な時期にあたっています。

【作品】(題名や画面をクリックすると、拡大図と詳細記事を見ることができます。)

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「芝公園の雪」

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清洲橋

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ゆく春

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牛堀
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手賀沼

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富士川
品川」(東海道風景選集)
馬入川」東海道風景選集より
相州前川の雨」東海道風景選集より

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