前回は、江戸時代に花開いた工芸の超絶技巧の数々をみてきました。
今回は「第4章 鬼才の陶工・三浦乾也と隅田川のやきもの」からスタートです。
冒頭の酒井抱一「隅田川窯場図屛風」、なんだか圧倒されつつものどかな空気に包めれる感じがしてきました。
隅田川ののどかな雰囲気とだるま窯で働く職人の生き生きした様子が手に取るようで、なんだか画面から心地よい風が吹いてくるようです。
見事な焼き物、今戸焼のかわいい人形たちが並んでいるのですが、前章のインパクトが強すぎて頭から離れず、この章はサーッと見るだけになってしまいました。
「第5章 府川一則‐北斎の愛弟子が歩んだ金工の道‐」は府川家三代の近代の歩みをたどるコーナーです。
偉大なる芸術家・葛飾北斎の愛弟子で将来を嘱望された初代が、明治維新によって社会の価値観が劇的に変わる中で居場所を失ってしまいました。
その後、苦闘の末に金工家として再出発し、ついに有栖川家の庇護を受けてその名声を確立する、という流れが分かり易くコンパクトに展示されています。
二代・三代は初代の確立した名声を腐心して維持する様もいろいろと考えさせられるところです。
このコーナーは、今まで江戸の職人礼賛だった展示とはがらりとかわっているのを感じます。
このコ-ナーは時代の変化に翻弄される職人の姿を描き出しているのです。
江戸時代以来続いた「粋なもの」には金を惜しまない時代の雰囲気でした。
ところが、文明開化以来の明治中期頃からがらりと変わり、実用性や機能性を供えた合理的なものを求める風にがらりと変わったのが見てとれます。
その中で、才能ある職人が苦悩して行きついたのが宮家だったことに少し悲しい気分になりました。
江戸で花開いた町人文化と尊担い手であった凄腕の職人たちの末裔が、一部の優れた者のみ天皇家や宮家に保護されてようやく残ることができたのです。
江戸っ子が権威を嫌い自由独歩を何よりも尊んだことを考え合わせると、せつない気分になってきました。
最終章の「第6章 大正昭和に生きた江戸の技‐小林礫斎のミニチュア工芸‐」は、まさに江戸に花開いた「粋」の文化の終焉を見る思いです。
さらに、天才的ともいえる精巧な加工技術を持つ小林礫斎も時代の変化によって居場所が失われていきます。
そして結局は「趣味の世界」のミニチュア工芸に行きついたのは、あるいは当然の姿なのかもしれません。
しかし、そんな見方は失礼千万とばかりに、展示されたミニチュア工芸は精巧さを極めたうえに、時に諧謔を含み、時に写実の限界を極めるような逸品ぞろいです。
その気概がまた寂しさを増すように見えてしまうのは、私だけでしょうか。
会場を出ると、江戸の伝統を受け継いだ現代の匠たちの作品が展示即売されています。
それはそれで素晴らしいのですが、是真や羊遊斎に見られたような狂気すら感じるすごみは、もはや求めることはできません。
やはり江戸の超絶技術は絶滅してしまったのでしょう。
そうか、それでバルディ伯爵コレクションなんだと気づきました。
まさに江戸時代からの伝統が社会の変質によって失われようとするまさにそのタイミングで、バルディ伯爵が来日して爆買いしてくれたおかげで、貴重な逸品が失われずに残ったのです。
偶然に近い形ですが、おかげで今回の展示のように私たちも江戸時代の工芸のすごさをうかがい知ることができました。
バルディ伯爵に感謝、感謝です。
江戸は遠くなってしまったなあ、としみじみ痛感した「江戸ものづくり列伝」展。
しかし、かつて江戸に花開いた職人の「粋」の極致を垣間見れる素晴らしい展示でした。
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