JR浅草橋駅 で、下の娘とJRに乗って出かけるときに、ふと「この駅の屋根すごいんだよ」というと、「そしたら写真撮っとこう!」となりました。
今回はJR浅草橋駅の隠れた魅力をお届けします。
JR浅草橋駅は、関東大震災からの復興事業で、総武線が万世橋~両国間延伸されたのに伴い1932年(昭和7)に開業しました。
復興を急いでいた状況と、当初の予定にない駅建設であったため、駅施設は簡易なものにする方針が立てられます。
このため、駅上屋は古くなったレールを転用して建設したのです。
駅施設の建築に古レールを使うことは意外とよく見られますが、浅草橋駅のように上屋のほぼすべてが古レール使用というのはあまり見られません。
そしてよく見ると、駅上屋の柱や梁に、レールの製造者名が記されているのを見つけることができます。
UNION(ウニオン社 ドイツ)、KRUPP(クルップ社 ドイツ)、CARNEGIE(カーネギー社 アメリカ)など、 八幡製鉄所で国産レールが作られるまではほぼ輸入に頼っていたので、海外の会社名が残っているのです。
緩やかな曲線と力強いトラスを組み合わせた構造が連続する光景からは、ある種の様式美と建設した時代の息吹を感じることができます。
開業以来、1945年(昭和20)の東京大空襲、1985年(昭和60)の国電同時多発ゲリラ事件における駅施設への放火と二度の業火にも耐え抜いて開業以来の姿を今に留めているのです。
浅草橋駅の機能美と耐久性を見て、いつも思うことがあります。
まず、創意工夫の大切さです。
限られた予算で美しいうえに強靭な構造物を作り出した技術者たちの創意工夫には頭が下がる思いがします。
次に、原材料の重要性です。
いかに素晴らしい建築でも、低品質の材料だとしたら、現在まで残っていないでしょう。
当時のレールは高品質の鉄でできていたからこそ、技術者たちの創意工夫を私たちは見ることができるのです。
予算がないから、時間がないから、と原材料の質を落としたり、あきらめてしまって創意工夫をしなかったり。
私はすぐに、そんな風になってしまいがちです。
「後世に胸を張れる仕事をしよう!! 限られた条件でベストを尽くそう!!」
浅草橋駅はいつも私にそう語りかけてくれているように思えてなりません。
私たちの街には、隠れた名建築が数多く残っています。
古レールを使用したJR浅草橋駅、日本初のランガー橋・JR総武線隅田川橋梁、関東大震災の復興橋である蔵前橋と両国橋、神田川に架かる名橋・柳橋と浅草橋、復興小学校の旧柳北小学校などです。
みなさんも一度、隠れた名建築を訪ねてみませんか?
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