オタクの街、サブカルの聖地 秋葉原の誕生日③

前回まで秋葉原が誕生し発展するまでを見てきました。

しかし貨物輸送の拠点・集積地としての側面が強く、現在世界中の人々を魅了する町の様子とはだいぶん異なっていたのです。

そこで今回は、秋葉原が現代の姿に変貌する過程を追っていきましょう。

秋葉原電気街誕生

太平洋戦争末期の東京大空襲で地域は甚大な被害を受けましたが、奇跡的に須田町一帯は焼け残り、大規模なヤミ市が誕生します。

この中に電気学校(現・東京電気大学)の学生を相手にしたラジオ部品を扱う露店が靖国通り沿いに並び、次第に多種多様になるとともに専門店化していきました。

そして昭和26年(1951)には連合軍最高司令官総司令部(GHQ)の命令で、これらの露店は秋葉原駅ガード下に作られた電気器具の集団マーケット・秋葉原ラジオセンターと秋葉原ラジオストアに収容されたのです。

こうしてマーケットを中心に多くの小売商や問屋が集まって、電気街の基盤が形成されました。

昭和22年の秋葉原駅空中写真(USAーM389-100)の画像。
【昭和22年の秋葉原駅空中写真 国土地理院Webサイトより
(USAーM389-100)】
昭和38年の秋葉原駅空中写真(MKT636-C7-21)の画像。
【昭和38年の秋葉原駅空中写真 国土地理院Webサイトより(MKT636-C7-21)】

家電の町・秋葉原

戦後の高度成長に伴って多様な家庭電化製品が爆発的に普及すると、電気街も急激に発展し、秋葉原が家電の街へと変貌を遂げていきます。

そして、昭和50年(1975)には秋葉原の基礎を作った秋葉原貨物駅が廃止され、平成元年(1989)には神田青果市場も廃止されてしまいます。

神田青果市場は、昭和3年(1928)から61年もの長きにわたって日本一を誇った巨大な青果市場で、秋葉原の町を支え続けていた施設でした。

現在は大田区東海に移転して大田市場と名を変えたものの、日本最大の青果市場として発展を遂げています。

廃止前の神田青果市場の画像(神田製菓市場跡地説明板より)。
【廃止前の神田青果市場の画像(神田製菓市場跡地説明板より)】

サブカルの聖地・秋葉原

その後も、時代の変化とともに秋葉原の町の変貌は続いてきます。

1970年代のマイコンブームや音楽ブーム、1980年代のファミコンブームなど、社会の変化に合わせて次々と店舗が入れ替わって変化しながらも発展を続けていったのです。

そして1990年代になると、パソコンの普及に伴って秋葉原の電気街は次第にパソコンと関連商品へとシフトした結果、パソコン関連の店舗が集積して、秋葉原は電脳都市へと変貌を遂げました。

2000年代に入ると、アニメやゲームを扱う店が増加して「オタクの文化」の聖地となって、オタクの町と言われるまでになりました。

この流れは平成17年(2005)のアイドルユニット・AKB48のデビューで加速し、サブカルチャーの聖地として世界的に知られるまでになっていくのです。

平成4年の秋葉原駅空中写真(CKT921-C7B-28)の画像。
【平成4年の秋葉原駅空中写真、国土地理院Webサイトより(CKT921-C7B-28)】

ビジネス拠点・秋葉原

ちなみに、AKBがデビューした平成17年は、秋葉原にとって重要な年と言えるでしょう。

この年に長く駐車場などとして利用されていた神田青果市場跡地に対して、石原都政のもとで再開発が本格的に始まったのです。

さらには、平成17年(2005)のつくばエクスプレス開業も重なって、平成18年(2006)のアキハバラクロスフィールドの開業を手始めに高層オフィスビルが次々と建設されていきました。

こうして秋葉原は、ビジネス拠点としての顔を持つようになったのです。

交通博物館

私個人としては、秋葉原で忘れられないのが交通博物館の存在です。

この博物館は昭和11年(1936)に、それまでの東京駅から当時の万世橋駅へと移転した鉄道博物館に起源を持つ、交通全体をテーマとした博物館でした。

平成18年(2006)にさいたま市に移転するまで、鉄道のみならず飛行機や船など、乗り物大好きな子供たちにとってあこがれの聖地だったのです。

秋葉原に沈む夕日の画像。
【秋葉原に沈む夕日】

現在の秋葉原

ここまで見てきたように、秋葉原の街はそれぞれの時代を反映しながらも、こだわりを持つ人たちのニーズを的確にとらえて発展してきました。

そして現代では、秋葉原の持つ独自の景観が世界中の人々を魅了して、世界的な観光名所にまでなっているのです。

この原稿を執筆している令和2年(2020)は、新型コロナ禍で秋葉原を訪れる人も急激に減少し、町全体が厳しい状況にあります。

しかし、過去には秋葉原は数々の困難を乗り越えて発展してきました。

チャレンジ精神にあふれる町、秋葉原はきっとこの困難も乗り越えてさらに発展していくに違いありません。

この原稿を執筆するにあたって、以下の文献を引用・参考にしました。

また、文中では敬称を略させていただきました。

引用文献:『明治還魂紙』笹川臨風(亜細亜社、1946)、

『明治世相百話』山本笑月(中央公論新社、2005)、

参考文献:『武江年表』斎藤月岑(国書刊行会本、大正1、国立国会図書館デジタルコレクション)、

「秋葉ばら」『三田村鳶魚全集 第9巻』三田村鳶魚(中央公論社、1975)、

『千代田区史』千代田区、1960、

『角川日本地名大辞典13 東京都』角川地名大辞典編纂委員会(角川書店、1978)

『東京文学地名辞典』槌田満文(東京堂出版、1978)

『山手線の東京案内 鉄道と地図のフォークロア』木本淳(批評社、1991)

『日本歴史地理体系 第13巻 東京都の地名』下中直人(平凡社、2002)

トコトコ鳥蔵では、みなさんからのご意見・ご感想をお待ちしております。

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