《最寄り駅:都営大江戸線 牛込柳町駅》
「武家屋敷名鑑」によると、安政2年(1855)新宮水野家は市ヶ谷浄瑠璃坂に上屋敷、深川越中島と市ヶ谷浄瑠璃坂に拝領中屋敷、市ヶ谷原町に拝領下屋敷、深川森下町に町並屋敷、神田富山町1丁目に町屋敷を持っていました。(『江戸幕藩大名家事典』)
そのうち今回は、市ヶ谷原町の下屋敷跡、現在の東京都新宿区原町3丁目を歩いてみましょう。
なお、コースは都営大江戸線牛込柳町駅西口を出発・終着とするコースで、全長約1㎞です。
《グーグルマップは新宮水野家原町下屋敷跡に建つ成城中・高校を指しています。》
市谷原町東側の崖
都営大江戸線牛込柳町駅西口から地上に出ると、左方西に登っていく緩い坂道が目の前を横切っています。
駐車場をはさんで見えている東西方向に走る大通りが大久保通り、手前は江戸時代からある古い脇道です。
この坂を登ると、原町下屋敷跡なのですが、ここでいきなり寄り道してみましょう。
坂の途中に、瑞光寺横に南方向に延びる人がすれ違うのがやっとの細い路地が見えてきました。
この道を進みます。
途中でL字に曲がったりして道なのか不安になる感じですが、これにかまわず進むと、瑞光寺の墓地に沿って進んでいくと、突然視界が開けてきました。
ここはやや広い墓地ですが、周囲にある寺の墓地が集められた場所なのです。
注目すべきは、北西方向にある崖です。
崖下が墓地、崖の上には学校らしき大きな建物がみえてきました。
この崖こそが、のちに原町を知る重要な手掛かりになりますので、ちょっと覚えておいてください。
路地を先に進むと、石段を経て牛込柳町の古い町並みに出るのですが、ここは来た道を戻りましょう。
しばらく進むと、成城中・高校に到着しますが、その少し先にある「日本体育会発祥之地」碑からみてみましょう。
「日本体育会発祥之地」碑
日高藤吉郎(?~1932)は明治24年(1891)に体育とスポーツの発展と、その指導者の育成を目指して成城学校敷地内に日本体育会を創立しました。
そして明治26年(1893)には日本体育体操練習所の設立が認可されると次第に発展していきます。
こ明治33年(1900)には日本体育会体操学校、昭和16年(1941)には日本体育専門学校、昭和24年(1949)には日本体育大学となり、今日に至っています。(日本体育大学Webサイト)
さらに、日高が死去した際には、成城学校と日本体育会が合同葬儀を行っています。
また、この歴史を顕彰するために、成城学校前の路上に、「日本体育会発祥之地」碑が建立されました。
じつは、日本体育大学の前身である日本体育会を設立した日高藤吉郎は、成城中・高校の設立者でもあります。
次回は成城中・高校についてみてみましょう。
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