維新の殿様  久松家と久松小学校の深い縁【久松松平家・松山藩(愛媛県)⑩】

前回まで久松家の歴史を見てきました。

近代以降教育に力を注いできた久松家は、東京でも大きな事績を残しています。

大正時代初めの久松小学校(『日本橋区史 参考画帖第1巻』国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【大正時代初めの久松小学校
(『日本橋区史 参考画帖第1巻』
国立国会図書館デジタルコレクション)】

久松小学校

東京都中央区立久松小学校(東京都中央区日本橋久松町)は、「周年記念式典には、昭和天皇皇后両陛下・今上天皇皇后両陛下・浩宮さま・秋篠宮さまご夫妻・常陸宮さまご夫妻など、10年ごとにつぎつぎご臨席を賜っている伝統校」(『中央区立久松小学校校友会だより』)として地元で広く知られています。

久松小学校については、「東京 橋の物語」高砂橋編にまとめましたので、詳しくはそちらをご覧ください。

この久松小学校と久松家には深い縁があり、それは今でも大切にされています。

そこで、そのことが詳しく書かれた『中央区立久松小学校校友会だより』から引用してみましょう。

久松小学校設立

「当時の久松小学校東京都中央区立久松小学校は、明治6年3月、日本橋久松町に「第一大学区第一中学区第二番小学」として設立されました。

この日本橋久松町という地名は、元禄年間からある古い地名で、由来は不明ですが長く親しまれてきた名前です。

ですので、長い間、これら久松の名を冠した施設群は地名から名をとったものだと考えられてきました。

ところが、地元では久松小学校の名は、久松伯爵家に由来するものと言い伝えられていたのです。

久松小学校設立を支援した久松定謨(Wikipediaより2020.8.24ダウンロード)の画像。
久松小学校設立を支援した久松定謨(Wikipediaより)

久松家の支援

平成五年に当時校友会会長である渡邊氏により『東京府志料』に、「久松学校 明治六年七月創建ス華族久松定謨ノ献金ヲ資本トシテ新築セシカハ其姓ヲ取ツテ校名トセリ」との表記が発見され」たことで、「久松家からの寄付一金千圓(現在の貨幣価値では数千万円)を筆頭として学校が設立されたとの事実が明らかとなりました。」

そして前述した明治16年(1883)7月に、久松家が出資して常盤会をこの地に設立したことをあげて「久松家は人材育成に力を尽くした」ことを讃えて、「学問を基礎とする近代化への貢献」と地域への尽力に感謝しています。

小学校令が発布された当初は小学の校名には数字が当てられていましたが、これだと分かりにくいということで個別に名前を付けるように変更したのです。

このとき付けられた小学校の名前としては、泰明小、常磐小、十思小、育英小など古典からとられたものが多いなかで、「久松」は確かにちょっと変わっています。

この名前こそが久松家への感謝を形にしたものだったのです。

震災復興で建設された久松小学校の外観(『東京市教育施設復興図集』東京市編(勝田書店、昭和7年)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【震災復興で建設された久松小学校の外観(『東京市教育施設復興図集』東京市編(勝田書店、昭和7年)国立国会図書館デジタルコレクション)】

久松家に感謝する会

興味深いのはその後の展開です。

「由来が分かった以上は敬意を表すのが筋」ということで、学校当局・校友会・松友会・地元などこぞって参加して、平成15年(2003)に久松定成夫妻を久松学校へ迎えて「久松家に感謝する会」を盛大に催したのです。

さらに、「私立学校であれば理事長という立場」の久松定成が亡くなった折には、久松小学校関係者が墓参団を結成して、松山市の大林寺へ参拝しました。

こうして久松小学校と久松家の交流は、現在も続いています。

話しはこれにとどまりません。

現在は久松町の町名が久松家に由来するとの言説が地元の方々の間に広がっているのです。

わたしもこの誤った説を笑顔で話してくださる地元の方々に数多くお出会いし、大いに驚いたのでした。

久松という町の名に誇りを持つきっかけとなっている久松家は、たとえそれが誤りでも素晴らしい役割を果たしていると、私は大いに感心するところです。

そして実は、定謨が明治20年にフランスから帰国するのを前に、日本橋気浜町2丁目の邸宅を売却して芝区栄町に三千坪の邸宅を移しているので、久松家が浜町にいたのはわずか15年間ほどの短い間なのです。

しかも芝の新邸宅はかつての三田・松山藩上屋敷に隣接する場所であることから江戸時代以来の伝統があるように錯覚されて、久松伯爵邸といえば芝というイメージが強くなっていたのも事実です。

それでも今に至るまで、中央区久松小学校や久松町の方々は、久松の名のなかに久松家とのつながりを見出して大切にされているのです。

ここまで久松小学校と久松家の深い縁を見てきました。

次回では、久松伯爵家浜町邸跡地と久松小学校周辺を実際に歩いてみたいと思います。

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