現在、東京を代表する巨大デパートといえば銀座や新宿をイメージするかもしれません。
ところが、江戸を代表する巨大なお店が中央区の馬喰町にあったと聞くと、意外に思う方も多いのではないでしょうか?
ところが、連載中の「東京 橋の物語」緑橋編で、橋に近い町に江戸を代表する大店の大丸を紹介しました。
さらには近くに蔦屋重三郎の書肆があって、またこの町で女流文学者の長谷川時雨が生まれたことも書いたところです。
今回はこの大丸について、さらに詳しく掘り下げてみていきたいと思います。
江戸の町には、巨大な呉服店が三つありました。
一が越後屋(現在の三越百貨店、写真)、次に白木屋、そして大丸です。
なかでも大丸は百年近くにわたって最大の売り上げを誇る江戸を代表する大店でした。
では、大丸はどうしてこの場所を選んだのでしょうか?まずはこの謎から解明してみましょう。
かつて江戸の町には四方に出入り口がありました。
このうち、東北地方と水戸方面からの道が江戸に入るのが浅草橋で、これに房総方面から両国橋を渡ってきた道が合わさるところが両国広小路なのです。
さらにそこから江戸の中心・本町にまっすぐ伸びていたのが本町通りでした。
この途上にあるのが緑橋と通塩町、通油町、通旅籠町で、本町通りという江戸を代表する大通りに面しているので町の名に「通」をつけて呼ばれていました。
その痕跡として、現在でも緑橋跡を通る道は、そのまま南西方向にまっすぐ進むと、本石町の日本銀行本店に通じています。
そして、この本町通りに直行するのが東から順に浜町川、大門(おおもん)通り、人形町通りでした。
このうち大門通りは問屋街となっており、名のある大店が並ぶ商業地区。
そしてここから一本西の人形町通りは芝居町とも呼ばれた堺町などがある歓楽街でした。
この大門通り・人形町通りと本町通りが交わる通油町と通旅籠町は大変な賑わいをみせ、江戸における商業の一大拠点となっていたのです。
とくに、本町通りと人形町通り交わる角には名の知れた大店の呉服店「大丸」江戸店があり、江戸を代表する光景として浮世絵にも描かれるとともに、長谷川時雨の作品にもよく登場しています。
そして一大商業地であるこの町の表通りには多くの商店が軒を連ね、その多くが問屋業を営んでいたのです。
さらに、店の業種を見てみると、武具、馬具、蝋燭、紅白粉、諸国銘茶、鉄釘銅物、呉服、小間物などじつに多岐にわたっているのがわかります。
その中でも特徴的なのが本屋と江戸暦問屋などの出版関係の店の存在でした。
浄瑠璃本屋や版木屋、江戸暦や錦絵、仏書や義太夫本などを商う店があるだけでなく、浮世絵師や版木の彫師なども居住して江戸後期~幕末にはこの町を代表する一大産業となっていたのです。
浮世絵師の喜多川歌麿や東洲斎写楽、戯作者の十返舎一九や滝沢馬琴を世に出した地本問屋蔦屋重三郎の店もまた通油町にありました。
そして大丸は、「町のシンボルになっていた」「大門(おおもん)通りを仲にはさんで四ツ辻に、毅然と聳そびえていた大土蔵造りの有名な呉服店」【長谷川時雨『旧聞日本橋』】だったのです。
ここまで大丸のあった通旅篭町と通油町の繁栄についてみてきました。
次回はこの地域のランドマークだった大丸についてみていきたいと思います。
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