地域の隠れた魅力をご紹介する鳥蔵柳浅。
今回は古典落語「富久(とみきゅう)」の舞台をめぐります。
大河ドラマ「いだてん」でも取り上げられたこの噺、初代三遊亭圓朝が実際に起こった出来事を基に創作したと言われています。
舞台は幕末の江戸の町。
さて、浅草安倍川町に久蔵と言う幇間(ほうかん)がおりました。
酒でしくじりを重ねて仕事にあぶれております。
・・・ と言う感じで始まる噺。
大筋をたどりましょう。
久蔵、年の暮れに なけなしの金で深川八幡の富くじを買います。
これを神棚に納めて当たった時のことを想像して一杯やっていると、そのまま寝込んでしまいます。
夜中に目を覚ますと、半鐘の音。火事は横山町だという声が。
「しくじった田丸屋の旦那の店がその方角、ご機嫌を取り結ぶのはこの時」とばかり、おっとり刀で駆け付ける久蔵。
幸い火の手は回っていません。
狙い通りに旦那の機嫌を取り結んで出入りを許され、奮闘するも・・・見舞いの酒でやっぱりしくじって寝込んでしまいます。
そこに再び半鐘、今度は鳥越の方、久蔵の家の方角だと起こされて駆け付けてみると、家はまる焼け。久蔵がっくり肩を落とします。
数日間 田丸屋で居候、たまたま富岡八幡の前を通りかかると富札の抽選をやっています。
そういや俺も買ったっけ、と見ていると、なんと一番富千両大当たり。
大喜びもつかの間、くじが無くては金はもらえないと分かり、再び久蔵がっくり来てしまいます。
そこで、近所の相楽屋の鳶頭とばったり出くわします。
「これは良かった、久蔵の家から布団やら神棚やら持ち出して預かっている」と頭。
久蔵血相を変えて頭にとびかかります。
慌てた頭が落ち着かせて神棚の富くじの話を聞くと、「そりゃしかたねえ、千両だもんな」と言いつつ、久蔵に千両の使い道を聞く。
そしてサゲです。
火事に富くじ、それにマラソンと 江戸名物テンコ盛り、しかもどんでん返しの連続に分かっていてもハラハラドキドキしてしまいます。
久蔵の住んだ浅草安部川町は、現在の東京都台東区元浅草三・四丁目の一部で、現在も安部川町会が存続して居ます。
寺地に囲まれた中に方形に町屋がありました。
幕府の下役の屋敷の裏に、長屋が密集する形になっていました。いかにもこの裏長屋に久蔵が住んでいそうな場所と言えます。
久蔵はここから横山町の田丸屋まで駆け抜けることになります。
広い通りの方が走りよいことを考えると、安部川町を出て新堀川沿い(現在の新堀通り)に南下、鳥越天文台前で東にいったん折れた後、奥州街道(現在の江戸通り)に出てさらに南下、浅草橋を渡り浅草見附を通過して筋を一本東にとれば、横山町に着きます。
全行程約1.8㎞。
人通りの多い道ばかりなので、人込みをかき分け避難する人々を避けしていると、結構大変な距離だと思います。
久蔵はほぼ一日に都合三度浅草橋を渡ったわけですが、その心持は実に様々。
それを思うと、今の時代に浅草橋を渡る私の気持ちも、なかなか感慨深いものがあります。
この噺はハッピーエンド、聞き終えて明るい気分になれます。
歩いてみても、町を駆け抜ける久蔵の姿が目に浮かぶようで、なんだか楽しかったです。
みなさんも古典落語の世界をご自分で歩いてみませんか。
次回は富久の別バージョンを探訪します。
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