私は主夫をやりながら家事や育児の隙をみつけては橋を見に行く日々を送っています。
バリバリ文系で橋梁工学なんてさっぱり、ただ あれやこれや妄想しながら橋を眺めるのが好きな橋マニアです。
さて、今回のお話です。
橋の中にもやはりレジェンドが存在しています。
レジェンドたるもの、それにふさわしい歴史と風格を持つのですが、どうやらそれだけではない内なる力を秘めているようです。
今回は橋の世界のレジェンド、八幡橋からレジェンドがレジェンドたる所以を探ってみたいと思います。
深川は橋だらけの町、江東区が管理する橋だけでもその数83、古いものから最近のものまで、さまざまな橋が集まる、いわば橋マニアの聖地。
さらに、土地が低くて平坦な深川の地に架かる橋は 川の堤防上に架かっている場合が多く、こんもりと高まりの 上に橋が見えることがよくあります。
さらに、道が直線なのとあいまって、かなり遠くからでも橋のトラスが見えまくりなのです。
橋のレジェンドを訪問するのは今回で三回目。
しかし、試みたことはその倍もあって、いつも途中にある数々の橋に引っかかってたどり着けないのでした。
曇りがちで肌寒い春の日に、今回も深川の町を駆け抜けていきます。
目指すは橋の世界のレジェンド、八幡橋(旧弾正橋)です。
途中、亀久橋や西深川橋、鶴歩橋など、次々に見える復興期の名橋たちの誘惑をなんとかかわしつつ、予定よりも30分遅れでようやく富岡八幡宮(写真)に到着。
お参りして新型コロナの早期終息と家内安全を祈った後、神社の東側の細い道を北上していくと、ベビーカーを押した若い女性を見かけました。
追い越しざまに聞くともなく彼女の声、「じゃあ今日は、ねこちゃん橋に行こうか!」
なに、ねこちゃん橋とは なんと軟弱でかわいらしい名前だ!
その橋はきっとすさまじくファンシーに違いない、などと心の中でつぶやくのでした。
さて、八幡橋は現在、富岡八幡の北東隅近くの住宅地の中、東京都江東区富岡1丁目と2丁目をつないで架かっています。
堀を埋め立てた公園の中に、遊歩道を渡す形の歩行者専用の歩道橋。
これこそが明治11年に製作された国産第一号の鉄橋の弾正橋(現在の八幡橋)です。
国指定の重要文化財で、国内では唯一、米国の土木学会から「土木学会栄誉賞」を送られた歴史的名橋なのです。
写真にあるように、公園内、橋のすぐ北側に受賞のプレートをはめ込んだ碑が建てられています。
この橋がもともと架けられていた場所は、江戸城と永代橋むすぶ重要な場所で、「三ッ橋」とよばれる名所でした。その様子は『江戸名所図会』にも描かれています。
『江戸名所図会』 を見ると、右ページの中央やや上、三つの橋のうちの真ん中のものが弾正橋。
この弾正橋、明治時代になっても皇居と千葉方面や東京の港湾施設を結ぶ重要拠点となっていました。
では、この橋がどうして現在の場所に来たのでしょうか?
次回は この謎を解いていきましょう。
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