現役の明治の橋 南高橋 ①

みなさん、新型コロナ禍の中いかがお過ごしでしょうか?こんな時でも季節は移ろい、春も盛りを過ぎようとしています。

今こそみんなで協力して困難に立ち向かう時です!

ということで、私にできることといえば・・・物語を書くこと。

そこで、東京に数多ある橋、それに関わる歴史や造った人たちの想いなどをつづる「東京 橋の物語」をはじめたいと思います。

みなさんの気晴らしにでもなれば幸いです。

それではまず、南高橋をめぐる再生と復活の物語からはじめましょう。

南高橋の南側からの全体画像。

南高橋は亀島川が隅田川にそそぐ場所に架かる古風な橋です。

すぐ東隣に亀島川水門が併設されているために、隅田川からは見えません。

ですので、今流行りの隅田川・日本橋川クルーズからも取り残され気味になっています。

橋の鉄砲洲川の袂にある南高橋橋名版と土木遺産のプレートの画像。

こんな南高橋ですが、橋詰には小さな公園が整備されて季節の花が絶えることがありません。

また、この橋の重要性が見認められて2016年には日本土木学会から土木遺産に認定されました。

亀島川に遊歩道が整備されるなど、今では周辺が多くの人で賑わうようになり、この橋が地域の人々に愛される町のシンボルとも言える存在になっています。

この南高橋は、東京都中央区新川二丁目と港一丁目、古い地名で言えば、霊巌島と鉄砲洲を結んでいます。

橋長63.1m、幅7.33mの鋼構桁コンクリート橋で、関東大震災復興事業で昭和7年(1932)に架橋されました。

橋の名前は亀島川に架かる「高橋」という橋の下流側、南にあるから、というなんとも味気ない理由です。

ただ、この高橋は正保年間(1644~47年)に架けられた歴史ある橋です。

北原白秋も愛した名橋ですので、それにあやかったのかもしれません。

南高橋を鉄砲洲川から見た画像。

しかし、みなさんは一見すればすぐにこの橋の異様な姿に気づくのではないでしょうか。

橋の正面にはゴシック風の尖塔が並び、正面には橋の名を記したプレートが掲げられ、三角形の装飾版が付けられています。

橋からは馬車を曳く馬のヒズメの音や、洋装した貴婦人たちが談笑する声が聞こえてくるかのようです。

文明開化の香りがするこの橋の姿からは、まるでタイムスリップをしたかのような錯覚を覚えます。

似た橋は明治村に移設保存された新大橋(明治45年(1912)架橋)くらい、博物館にあるような橋が現代の車交通の中、現役で働いている姿はなんとも不思議。

そう思うのも当然で、この橋、実はもと明治37年(1904)に隅田川に架けられた両国橋の一部なのです。

なぜ百年以上前の橋がここに残っているのでしょうか?

そこにはいくつかの偶然と先人たちの知恵と努力が詰まっています。

次回からは、南高橋をめぐる復活と再生の希望の物語を見ていきましょう。

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