かつて台東区にあった活気あふれる小学校・柳北小学校について、前回に続いて今回は学校行事や出身著名人をみてみましょう。
学校年間行事
(『柳北百年』所収の昭和51年度をベースとしています)
4月 始業式、入学式、対面式(1年生を迎える会、平成8年)、健康診断、全校体育(於リバーサイドスポーツプラザ、平成8年)
5月 子供の日の集い(平成8年)、春の運動会、遠足、知能検査、家庭訪問
6月 はみがき訓練、プール開き
7月 七夕集会(平成8年)、終業式、水泳指導、夏季休業(夏休み)
8月 水泳指導、夏季休業(夏休み)、日光林間学園(修学旅行)、岩井臨海学園(昭和46年不参加)、金魚すくい、少年野球大会
9月 始業式、プール納め、軽井沢移動教室
10月 秋季大運動会、遠足(全校遠足、平成8年)、展覧会、百周年記念式典
11月 就学時健康診断、学芸会(平成8年)
12月 終業式、冬季休業(冬休み)、もちつき大会
1月 始業式、席書会(平成8年)、書初展、柳北お祭りワールド(平成8年)
2月 クラブ活動発表会、音楽会(平成8年)
3月 送別スポーツ大会、修了式、卒業式、春季休業(春休み)
毎月 交通安全指導、避難訓練、授業参観
修学旅行は、昭和16年(1941)まで伊勢志摩、奈良京都を巡るコースでした。
臨海学校は、戦後は昭和23年(1948)から三浦半島金沢海岸で再開されています。昭和24年(1949)安房小湊、昭和25年(1950)上総興津を経たのち、しばらくは5・6年生が興津、4年生が金沢で臨海学校を開催していました。
クラブ活動と委員会活動
(昭和51年度)
クラブ 卓球、サッカー、ポートボール、理科工作、音楽、手芸、習字、まん画、美術、写真
委員会 集会、放送、整美、図書、園芸、保健、給食、飼育、掲示、体育
課外活動:鼓笛隊、金管バンド、関連団体として少年野球チーム・柳北エラーズ
鼓笛隊 昭和38年(1963)に結成され、当初は6年生のみに参加が限られていたこともあって、地域の子供たちの憧れ的存在となっていました。(『柳北百年』)
金管バンド 昭和56年(1981)に学校創立105周年を記念して結成されたものです。(『わたしたちの柳北』)
柳北エラーズ 昭和40年(1965)10月結成(第1話「長嶋茂雄と柳北小学校」参照)
出身著名人
大和勇三(やまと ゆうぞう:1914~1991・昭和2年卒)日本経済新聞記者・論説委員長、評論家。
第40代横綱 東富士勤一(欽壹)(あずまふじ きんいち:1921~1973・昭和9年卒)
横綱在位期間が昭和24年1月~昭和29年9月で、大横綱双葉山の弟子、「江戸っ子横綱」として人気を博し、戦後復興期の角界を支えた名横綱です。
桐敷真次郎(きりしき しんじろう:1926~2017・昭和14年卒)建築史家、東京都立大学名誉教授。
滝沢菊太郎(たきざわ きくたろう:1926~2002・昭和14年卒)経営学者、名古屋大学名誉教授。
槌田満文(つちだ みつふみ:1926~2011・昭和14年卒)日本近代文学の研究者、武蔵野大学名誉教授。 (以上『柳北百年』)
そのほか、柳北女学校附属幼稚園卒業者に辻潤(明治22年卒)がいますが、育英小学校に入学しています。(『辻潤全集』)
辻潤(つじ じゅん:1884~1944)は向柳原町1丁目で生まれの思想家、翻訳家、評論家。翻訳を通じて西欧の世紀末思想を紹介し、自らダダイストをもって任じる奇行の人でした。
また、宮沢賢治の才能を見出して、はじめて文壇に紹介したことでも知られています。
前回と今回で柳北小学校の概要をみてきました。
次回は、現在も残る震災復興建築の旧柳北小学校校舎についてみてみましょう。
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