【前回までのお話し】
江戸時代の初めに、悪の忍者集団 風魔一党を倒したものの(甚内神社・前編)、用済みとばかりに幕府に処刑された向坂甚内(?~1613)ですが、彼の死にざまから疱瘡の神としてあがめられるようになり、江戸庶民の人気を博して ついには歌舞伎のヒーローになりました(甚内神社・中編)。
四世鶴屋南北登場
日本で反社会性が強い盗賊や忍者が脚光を浴びることは長らくありませんでした。
この状況を一変させたのが四世鶴屋南北(大南北1755~1829)です。
彼は盗賊などのアウトローたちを、大変個性が強く常識にとらわれない破天荒な人物として描き上げて、大いに人気を博しました。
その後、河竹黙阿弥による白波物が登場して、盗賊(義盗)や忍者の人気は不動のものとなります。
ただし、黙阿弥の描くものは勧善懲悪のストーリーが多く、四世鶴屋南北が描いたような独特のクセはなくなっています。
その後、映画や漫画などによって盗賊(義盗)や忍者の魅力が世界的に発信されていき、日本を代表するアイコンの一つになっています。
今回は甚内をはじめとする盗賊・忍者などのダークヒーローの代表として、石川五右衛門と自来也について見てみましょう。
石川五右衛門
石川五右衛門(いしかわごえもん)(?~文禄3年(1594))は盗賊の首領でした。
豊臣秀吉の命を受けた前田玄以が五右エ門を捕縛し、一族十数名とともに処刑したことがイエズス会宣教師の通信に記録されています。
その処刑方法が、生きたまま子供とともに油で煮られるというものであったことが人々の記憶に深く刻み込まれることになりました。
実際の犯罪歴は不明ですが、江戸中期になると講談の主人公としてとりあげられたことで次第に知られるようになっていきます。
そして歌舞伎の初代並木五瓶作『楼門五三桐』(安永7年(1778)初演)の大当たりで人気は絶頂になり、誰もが知るスターとなったのです。
南禅寺山門に登っての「絶景かな、 絶景かな」の名台詞はご存じの方も多いのではないでしょうか。
この後、石川五右衛門は忍者出身の大泥棒というイメージがすっかり定着して、二代目河竹新七(黙阿弥)作『青砥稿花紅彩画』(通称『白波五人男』、文久2年(1778)初演)の日本駄右衛門のモデルとなるなど、日本を代表する盗賊として様々なジャンルで取り上げられています。
自来也
自来也(じらいや)は感和亭鬼武『自来也説話』(文化3年(1806))で主人公の義盗です。
中国の宋代に実在した盗賊「我来也」(盗みに入った先で「我来也」と書き残したためこの名がついたと言われる)をモデルにしたと言われています。
忍者の自来也が大蝦に乗って宿敵の大蛇使い大蛇丸や大蛞蝓使いの綱手と戦う話は、現在でもマンガ『ナルト忍法帖』で自来也、大蛇丸、綱手が登場しているようにいろんなシチュエーションで使われています。
甚内の歴史的役割
ここで話を向崎(向坂)甚内に戻しましょう。
彼が忍者であったかどうかは分かりませんが、盗賊の大頭目で忍者集団の風魔一党と相対したのは17世紀初頭です。
石川五右衛門が暗躍したのが16世紀後半と、甚内が活躍した時代より少し前でした。
一方で、四世鶴屋南北によってアウトローたちに光が当たるようになったのは150年後の18世紀後半です。
五右エ門が生きた時代から注目を集めるまでには150年もの空白の時間があって、世間で忘却されるには十分すぎる状況だったといえます。
一方で、疱瘡の神として処刑地近くに甚内が祀られたのは彼の処刑のすぐあとの16世紀初めです。
医学が十分に発達していなかった江戸時代、甚内神社は庶民から厚い信仰を集めていましたので、この時すでに甚内はある種のスターだったといってよいでしょう。
そして甚内が人気を得たのは 彼が病気を防ぎ治してくれる神様だからですし、だからこそ誰もが盗賊の大頭目を堂々と拝むことができたわけです。
結果として、このことが150年の空白の時を超えて盗賊や忍者が注目される下地となるとともに、イメージをつなぐ役割を果たのではないかと私は考えています。
いうなれば、甚内は現在の盗賊・忍者イメージのモデルとなったと言えるのではないでしょうか。
現在の甚内神社
現在も甚内神社の鎮座する柳二町会では、有志が甚内会を作り甚内神社の保全に努められています。
この甚内会が甚内の命日とされる8月12日に毎年お祭りを開催しており、この日は子供のための縁日として地元の子供たちが心待ちにする日となっています。
江戸のダークヒーロー向崎甚内、みなさんも甚内神社に詣でて彼に思いを馳せてみませんか?
この文章を作成するにあたって、以下の文献を参照させていただきました。
また、本文中では敬称を省略させていただきました。
参考文献:
『江戸学事典』西山松之助ほか編(弘文館、1984)、
『江戸東京学事典』小木新造ほか編(三省堂、1987)、
『国史大辞典』国史大辞典編集委員会(吉川弘文館、1979~97)、
『日本史大辞典』下中弘編(平凡社、1992)、
日暮光三「震災以前の福井町界隈」『古老がつづる下谷・浅草の明治・大正・昭和4』台東区芸術・歴史協会編(台東区芸術・歴史協会、1990)、
大和秀「暗渠になる前の三味線堀と鳥越川」『古老がつづる下谷・浅草の明治・大正・昭和8』台東区芸術・歴史協会編(台東区芸術・歴史協会、1993)、
『日本民俗大辞典』福田アジオ・新谷尚紀ほか編(吉川弘文館、1999・2000)
『歌舞伎登場人物事典』河竹登志夫監修、古井戸秀夫編 白水社2006
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